森田雄&林真理子が聴く「Web系キャリア探訪」

44歳、転職は10社目。サックスプロ奏者からIT業界へ転身した男の人生

転職ごとにレベルアップする「プロ転職家」熊村剛輔氏。セールスフォース・ドットコムのエバンジェリストとして活躍する彼のキャリアに迫った。
セールスフォース・ドットコムの熊村剛輔氏

デジタルマーケティングに関わる人なら、彼の講演を聞いたことがあるという方も多いだろう。「熊村劇場」とも呼ばれる彼の講演はまさにステージ。聴衆は、最初圧倒され、いつの間にか彼の話にグイグイと引き込まれていく。

本連載でも最高記録となる9回の転職経験を持ち、現在は「エバンジェリスト」としてセールスフォース・ドットコムで活躍する熊村剛輔氏が今回の主役だ。

熊村氏が今目指している世界は、奇しくもこの連載が目指す方向性とも一致する。一見すると華やかなキャリアの影に隠された努力と、これからの展望に迫った(以下、発話は敬称略)。

Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。
インタビュアーは、Webデザイン黎明期から業界をよく知るIA/UXデザイナーの森田雄氏と、クリエイティブ職の人材育成に長く携わるトレーニングディレクター/キャリアカウンセラーの林真理子氏。

デジタルマーケティングの地位を向上させるためにセールスフォース・ドットコムへ

林: セールスフォース・ドットコムでは、どんなお仕事をされているのですか。

熊村: 2018年5月に入社して、エバンジェリスト、シニアビジネスコンサルタント、ソリューションエンジニアの仕事をしています。

エバンジェリスト・シニアビジネスコンサルタントとしては、世間でいまだに根強い「ビジネスやマーケティングにデジタルが役立つのか」という懐疑に対して、デジタルの可能性を啓蒙する役割を担っています。前職のアドビ システムズ 株式会社(以下、Adobe)でも同じようなことをしていました。ソリューションエンジニアとしては、ツールの技術営業をしています。

セールスフォース・ドットコムの熊村 剛輔 氏

林: たくさんの転職経験をおもちですが、どういったタイミングで職場を変えてこられたのでしょうか。

熊村: セールスフォース・ドットコムでちょうど10社目。一見、無節操に見えるかもしれませんが、自分の中では首尾一貫していて、常にデジタルやマーケティングに関わっています。転職するタイミングは、自分でもっと大きい舞台、やりがいのあるところで働きたい、と感じた時ですね。所属している会社よりも、外の会社のほうがいいと、明確なイメージが持てた時に動きます。

エバンジェリストは、テクノロジーの夢を伝える仕事

林: 熊村さんにとって「やりがいがある」とは?

熊村: デジタルマーケティングに携わる人の地位を向上させることです。この業界でキャリアを積むことは魅力的だ、と思われないと、デジタルマーケティングの先行きが不安ですよね。デジタルマーケティングに20年以上関わっているからこそ、最近は切実に感じるようになりました。これから社会に出る人、携わる人に向けて、「デジタルマーケティングの仕事をすると、おもしろいポジションにつける」ということを示していきたいです。

林: それを示すのに、今はセールスフォース・ドットコムという職場が最適だと?

熊村: セールスフォース・ドットコムの製品、サービスは、企業をデジタル化してパフォーマンスを向上するために必要なツールです。セールスフォース・ドットコムが広まることは、結果としてデジタルマーケティング業界全体の底上げにつながると感じています。ちなみに僕は今年で44歳です。「所詮、こんなものだったな」という人生は嫌なので、挑戦し続けたいです。

林真理子氏(聞き手)

林: 「エバンジェリスト」という仕事は、どういったことをするのですか?

熊村: 日本語で言えば「伝道師」で、宗教的な言葉です。テクノロジーは宗教的なところがあって、信じるということがあります。複数のテクノロジーがある中で、これを選ぶ、信じる、だからこそエヴァンジェリズムという考えが出てきました。製品をPRするのではなく、製品に夢を持ってもらう、ワクワクしてもらう、そんな宗旨変えを促すのが仕事です。僕の話を聞いた方が、「セールスフォース・ドットコムを選びたい」と感じてもらえれば、エバンジェリストとしていい仕事ができたと思います。

ミュージシャンからIT業界へ転身。追いつくために勉強漬けの日々を過ごした

林: ここに行きつくまでのキャリアについて、じっくりお話を聴かせてください。もともとはミュージシャンでいらしたとか。

熊村: 大学在学中の1995年にフリーランスのミュージシャンになりました。サックスのプロ奏者としてアルバムのレコーディングやライブで演奏する仕事をしていました。

森田雄氏(聞き手)

森田: ミュージシャンとは意外なスタートですね。なぜ、デジタルのほうに?

熊村: 2000年に知人が立ち上げていたISP(インターネットサービスプロバイダ)を立ち上げて、そこに入社しました。これがデジタル畑の始まりです。インターネットやコンピュータに関する知識がないまま入社したので、必死に勉強して仕事をしていました。その後ITベンチャーなどを経て、4社目で外資系のリアルネットワークスに入社して、動画再生ソフト「RealPlayer」のプロダクトマネージャをやりました。

森田: リアルネットワークスへの転職は、どんな経緯で?

熊村: リアルネットワークスへの入社は、リクルーティング会社を通じて行いましたが、リクルーターも採用担当も何かを間違えたようで(笑)。サーバーに触ったことがなかったのにサーバーエンジニアとして採用されました。当時は、ストリーミング配信の専用サーバーが必要だったので、クライアントにサーバーを導入し、何か不具合があったらエンジニアにエスカレーションするという仕事です。

林: 未経験での採用…ご苦労されたのでは?

熊村: そうですね、猛勉強しました。幸いにも中学、高校とアメリカで過ごしていたので、英語の文献をそのまま読めたことは大きかったです。効率よく勉強できたと思います。また、わからないことは同僚や先輩にもどんどん聞きました。4社目だったので、だんだん新しい組織で生きていくためには何をすべきかが見えてきました。それは自分を中心とした地図を作ることです。

新しい組織に馴染むために必要なものは、人間関係の地図

森田: 地図とは、どういうことですか?

熊村: 周りに誰がいるか、大事なことを教えてくれる人は誰か、誰が何を教えてくれるか、助けてくれるか、近寄ったら危ないのはどこか、自分が助けられる人は誰か、といった組織内の人間関係の地図で、組織にアジャストするためには絶対に必要なものです。転職したら、1か月はまず地図作りですね。

林: 1か月の間に、地図をどのようにして作っていくのですか。

熊村: 会社で働く人と話すことです。セールスフォース・ドットコムの場合は、フリーアドレスでフロアごとにフリースペースがあるので、最初はそこで仕事をしていました。いろいろな人が来るので、そこで雑談、ミーティングをしました。

林: フリースペースがない会社では、どうしていたのですか?

熊村: 昔は喫煙所がフリースペースのような存在で、部署を超えたコミュニケーションができる場所でした。今は喫煙所がない企業も多いと思いますし、フリースペースがない場合でも、ランチに誘うなど方法はあります。常に意識していたことは、さまざまな部署の人と話すということです。

これは、Webサイトを作っていたからこそできる能力かもしれません。過去に勤めていた会社のマイクロソフトでは、コーポレートサイトの運営をやっていて、さまざまな部門の人とコミュニケーションする必要がありました。Web担当者にとっては、部門を超えたコミュニケーションは必須スキルですよね。

森田: 自分の立ち位置が与えられるよりも前に、地図を作りながら自分の場所を能動的に作るのですね。まさに転職慣れしているなという印象です。

熊村: 居場所が作れないと、仕事も任せてもらえず結果が出せません。会社に貢献するためには、転職後に自分の居場所をどれだけ早く作るかが勝負です。

転職した会社はどこも好き。その会社のカラーに文字通り染まっている

林: キャリア変遷の話に戻ると、リアルネットワークスの後はどうされたんでしょうか?

熊村: アウトドアグッズのコールマンジャパンに入りました。ずっとテクノロジー起点で仕事をしていましたが、形があるもの、触って使えるものに関わりたいと思ったんです。ちょうど、コールマンジャパンでECサイトの立ち上げ担当者を募集していたので、転職しました。

一人部署だったので、ECサイトに関することはすべて担当しました。自分でRFP(提案依頼書)を作り、ベンダーを呼び、提案を聞いてパートナーを選び、要件定義、スケジュールをつめて、自分でも一部コーディングして、決済システムとの連携もさせて……。以前は、ECサイトの役割が社内で十分に理解されていないこともあって、リテール部門やサプライチェーン部門から「仕事を取るな」といわれたこともあります。

突っ走って仕事をしたおかげで、立ち上げから2年でほぼ軌道に乗せられました。その突っ走った勢いのまま、もっと大きいフィールドでやりたいと思って、マイクロソフトに入りました。ちなみにECサイトはその後も運用されていて、当時とはけた違いの成長だという話を噂で聞きました。

森田: かなり短いスパンで転職していますよね。

熊村: 5社目にいくまでは、毎年に近いところもありましたね。でも、マイクロソフトは4年半いました。

林: 勤務期間の長短はあれど、どこの会社にもどっぷりいれ込んでこられた感じですか?

熊村: 染まりますね(笑)。クールな目は持っている必要があるので、妄信的にはならないようにしていますが、どの会社も好きです。ちなみに前職のAdobeではコーポレートカラーの赤ばかり着ていましたが、今は青。取材だからというわけではなく、普段でも青が多いです。

シャツやネクタイが青いのはもちろん、靴の裏まで青い、熊村さん

組織の中だから得られる自由の中で、自分だけの価値を出す

森田: 熊村さんとは初対面ですが、ネットやSNS上で出ている感じから、もっと怖い人だと思っていました(笑)。各社のそれぞれで経験を重ねられたことを、今の知見や能力として活かしているんだなということがわかりました。

熊村: よく怖そうと言われます…そんなことありませんよ(笑)。会社を含めて周囲が求めているのは、今何をしているのか、これから何をするのかであって、過去ではありません。過去の経験があった上で、これから何をするのか。いろんな会社を渡り歩いている自分のような人を採用するのは、期待があるからだと思いますし、常にプレッシャーを感じながら仕事をしています。

林: これから先20年くらいを見越して、今後は1社でポジションを高めるといったお考えも、もちうるのでしょうか。

熊村: 正直なところ、今やるべきことをどれくらいできるかはこれからなので、なんともいえないのですが、その可能性もあると思います。いずれにせよ、組織の中で働いていこうと思っています。フリーランスに向いていたら、あのままミュージシャンを続けていたでしょうし。

森田: 会社の中にいればバックオフィス業務を任せられる分、やりたい仕事に注力できる自由がありますよね。会社は互助会みたいなところがあって、一人休んでも業務としてはまわるようにできていますし。

熊村: ミュージシャンを辞めて、会社員になったとき、毎月決まった日に給料が振り込まれることに感動しました。自分にしか出せないバリューを組織に提供でき評価されれば、組織でやりたいことができると思います。自分が外資のほうが性に合うのは、契約文化があるからかもしれませんね。自分ができることをやる代わりに給料をもらうという、企業と個人が対等な関係だと思っています。

ミュージシャンが観客を喜ばせるように、エバンジェリストとして人を喜ばせたい

林: 社員が「自分にしか出せないバリュー」を作り出して組織に提供し、その対価として組織から給料をもらう対等な関係は、今の時代にフィットしたキャリア観のように思います。ただ、社員が「与えられた仕事をこなす」ことを組織も評価するし、社員もそうした役割の与えられ方を求めるといった構図は、従来型の職場として多く残されているようにも思います。

熊村: 自分がエバンジェリストとしてここにいる理由でもあります。そういう会社は中から変えるのは難しいですが、外から言われると、案外簡単に変わることがあります。それを促すことが、僕の役割の1つですね。

森田: 今後、デジタルがすべての会社に普及して、デジタルの啓蒙の必要がなくなったらどうしますか?

熊村: また事業会社のマーケティングに戻るかもしれませんね。デジタルが企業にとって当たり前になった結果、独立した部門が必要なくなり、透明化するのだと思います。その時は、デジタルマーケティング部やWeb担当者という言い方もなくなっているでしょう。それを推進するために、今、自分に何ができるか考えています。

林: 仕事をする上で大切にしていることは?

熊村: 大切にしていることは、「コミュニケーション」に尽きます。デジタル部門は、社内でもいろんな部門の人とやり取りしますし、外のコミュニケーションもあります。Web制作会社、代理店など外部のパートナーもいれば、WebサイトやSNSでお客さんとも接しています。

これは、ミュージシャンのときと変わらないと感じています。ステージでお客さんの反応を見て演奏する、デジタルでもPC、スマホ越しのお客さんの反応を見て伝える。今は、お客さんや市場の人を喜ばせるのがエバンジェリストの仕事だと思っています。

でも、僕のキャリアは真似しないでください。自分でも同じキャリアをもう一回やれと言われたら断りますから(笑)。

林: 最後に、コミュニケーションが苦手な人にアドバイスはありますか。

熊村: 黙っていたら誰も声をかけてくれないので、自分でどんどん話しかけるしかないですね。前に出るのが苦手、という人は「自分の失敗を他人は3分後には忘れている」と思うといいですよ。

新しい場所に行って、地図を作る段階ならなおさらのことです。新入りの人が変なことを言ったところで、誰も怒ったりしません。社内で自分の場所を作るなら、自分から出ていかなければなりません。これは、この歳になっても自分に言い聞かせていることでもあります。

――ありがとうございました。

二人の帰り道

林: 「一社の組織寿命より、人の労働寿命のほうが長い」と言われる時代、終身雇用のキャリアデザインは、絵に描いた餅。組織に依存しない、本人の自律的なキャリア形成が求められるようになって久しいですが、実際には「組織と個人が対等に価値を提供しあう関係」って、言うは易し、行うは難しだなって思います。
転職した先では、新卒入社のときと違って周囲が「放置プレー」のことも多いので、いまいち会社に馴染めず…という方もいらっしゃると思うのですが、そういう受け入れ態勢を当然のものとして、自分で自分の居場所を探し出し、役割を定義していく能動的な活動が、組織との対等な関係づくりの一歩かもしれません。
熊村さんのキャリアは、ほんと真似できるものじゃありませんが(笑)、最初の1か月で地図を作ってみる、地図を作る過程で新しい人間関係を作ったり自分の活動範囲を拡げたりする話は、ぜひ転職初体験の方にお役立ていただけたらと思います。また、その地図に自分を位置づけて、「自分は何のためにここで働くのか/どう貢献できるのか」といったコンセプトを考え、それに留まらず、目的や役割を果たすための活動にとことんエネルギーを注いで、熱心に人とコミュニケーションをとっていく姿勢も、ぜひ学びたいポイントだなと思いました。

森田: 僕も転職というのかはさておき、社の経験数としては10社を超えていまして、ころころと職を変えているみたいな見え方についてはわりと共感しているぞ、という前提からのインタビューでした。しかし話を聞いてみると全然違うというか、熊村さんに失礼というか、とにかくおこがましい共感だったと反省しました(笑)。
熊村さんのキャリアパスは、ちゃんとステップを踏んでいて、ホップステップジャンプして、まあそれでは足りずにジャンプジャンプジャンプ以下略という感じなんですけど、各社での経験が全部生きているし、一回りずつ強くなっているみたいな印象を受けました。
そして何より、業界経験値からすると歴戦の猛者ともいえるポジションにも関わらず、物腰が柔らかいというか、なんて誠実な話し方をされる方なんだということで、感心することしきりです。
転職のたびに地図作りをしているということでしたが、それぞれの地図はどんどん繋がっていってデジタルの業界全体に広がる大きな地図として、熊村さんは描いているんじゃないかとも思いました。今後も転職をさらに重ねられるのか、セールスフォース自体の地図を押し広げていくのか、いずれにしても「地図」っていう表現はおもしろいし、とても勉強になりました。ありがとうございました。

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