伝説の評論家に学ぶ“思うがまま”。読者がいるから筆者が生まれる
コンテンツは現場にあふれている。会議室で話し合うより職人を呼べ。営業マンと話をさせろ。Web 2.0だ、CGMだ、Ajaxだと騒いでいるのは「インターネット業界」だけ。中小企業の「商売用」ホームページにはそれ以前にもっともっと大切なものがある。企業ホームページの最初の一歩がわからずにボタンを掛け違えているWeb担当者に心得を授ける実践現場主義コラム。
宮脇 睦(有限会社アズモード)
3.11 東日本大震災及び、すべての自然災害の犠牲者に哀悼を捧げます。
心得其の399
文章とは「つくりもの」
清水幾太郎著『論文の書き方』にある一説です。前回、文章を書く上で「嘘は必需品」としたのは、私の経験からの結論でしたが、本書によって間違っていないと確信に至ります。清水幾太郎は、左派から右派への思想転向もあって、今では忘れられた存在のようになっていますが、戦中から戦後の一時期まで論壇をリードした伝説の評論家です。初刷りから半世紀以上経過している本ですが、文章を書くためのヒントが詰まっています。
それではどう書くか? という問いに清水は「思うがまま」と答え、
文章は「つくりもの」でよい
と結論づけます。「思うがまま」とは「ひとりよがり」ではありません。
抽象の産物
前回指摘したように「ありのまま」では文章にはなりません。一方、「思うがまま」とは、自らが「思う」ことを書くものであり、結果的に「つくりもの」になってしまうが、むしろそうでなければならないと清水は喝破します。その理由の1つに、
画家が描いた花が実物の花に似ているのに対して、私たちが書く「花」という言葉は、どう見ても、実物の花に似てはいない
と「文字」による制約を指摘します。確かに「花」は象形文字ではなく、形声文字で「草が化ける」から作られた……ということではなく、筆者が見て感じた「花」を伝えるための表現が必要だということです。文章とはそもそも抽象的なもので、後述するように内面世界とは切り離せず、だからこそ「ありのまま」ではなく「思うがまま」に書くものだというのが清水幾太郎の教えです。
クリエイターの腕の見せ所
私が同じ結論に達したのは、広告制作をしていた経験によります。広告では誇張はもちろん、論理をすり替えるのは日常的で、改ざんレベルのデータ抽出など、やりたい放題が「広告」の世界。語弊を怖れずに言えば広告は「嘘」でできており、女優は街中で歌い躍りながら買い物し、犬が人間の言葉を話し、家族でない俳優が家族を演じています。この「嘘加減」が、クリエイターやプランナーの腕の見せ所といってもいいでしょう。
ネットで文章を発表し始めたころ、朝から一行も書けない日がありました。あるネタを扱ったとき、状況を説明するのに「ありのまま」ではプライバシー侵害となりかねなかったからです。太陽が傾き、ペン立てから伸びる影が長くなったころに、広告制作をしていた会社員時代の経験を思い出します。架空という「嘘(演出)」の利用です。
架空の人物設定なら高確率でプライバシー侵害は避けられ、自分の「思い」だけで作り出せます。そして1時間もせずに書き終えた文章は、リアルの制約を解き放たれたことから、いきいきと仕上がっていました。まさに「つくりもの」の手柄です。しかし、「嘘」ではないかという葛藤もありました。
呪縛からの解放
このころ、複数の新聞の購読していました。すると、同じ事件や出来事に対して、正反対の解説があることに気がつきます。朝日新聞が言うところの「角度」です。「角度」とは社論に沿って記事をまとめることで、最近では「集団的自衛権」をめぐり、朝日新聞と産経新聞は別の国の別のできごとのように紹介しています。
角度とは、広告と同じ手法だと気がつきます。つまり、「思い」によって導き出された結論だということです。ちっとも「不偏不党」なんかじゃない、と憤りもしましたが、これに気がついたとき「嘘」への葛藤は緩和され、「文章を書く」という作業へのプレッシャーはなくなりました。
事実ではないという意味の「嘘」を用いることで、どんな角度からでも文章が書ける技術を、広告制作の過程で身につけていたからです。そのなかでも便利な技術が、やはり「思い」です。
「思い」を活用する広告
市場優位性がない商品でも魅力があるとアピールするのが広告です。そんなときは「思い」を活用します。
まるでダイヤモンドの輝き。とても60代には見えない
主観からくる「思い」はだれも否定できません。「無理」だと思うことでも、クライアントがすべてに勝る広告業界では、いつも「道理」が引っ込みます。「思った事実があればそれは嘘ではない」、という理論武装によって、広告業界は今日も明日も「思い」を量産しつづけます。
そのまま文章に通じます。もちろん、私的なブログでも。
夕日を「赤い」と表現するか、「オレンジ」と書くか「黄色」にするかは「思い」の領域です。赤と黄色では可視光線における「波長」が異なりますが、「夕日」の色の表現に科学的基準などありません。
また、学生時代、放課後の教室で告白した思い出があったとして、告白の成否によっては、記憶に残る夕日の色がまったく違ったものになるのも「思い」がなせる技です。文章とは自分の内面の告白であり、極めて主観的なもので、思ったまま、感じたままを表現したとき、「あるがまま」ではなくなります。そして「思い」と真摯に向き合ったとき、文章が「ひとりよがり」になるリスクが低下します。
文章における活用
自らの「思い」と向き合うことで、他人や世界との距離を意識するようになります。少し哲学的になりますが、自分の存在は、他人と比較することで確認されます。他人がいるから自分がいるのです。だれも人がいない北極の氷の上や、サハラ砂漠の真ん中で、「私はここにいる」と叫んでみても、微かに残る残響音が虚しいだけです。
文章で言えば「読者」の存在があって、初めて「筆者」になれるということです。これに気づくことは、筆者の「思い」と、読者の「思い」は異なるという視点の獲得を意味します。その結果「ひとりよがり」に陥る確率が大きく下がるのです。
清水幾太郎の「思うがまま」とは文学的比喩表現で、それだけならひとりよがりで意味不明な文章になってしまいます。「思うがまま」を伝えるために、自分の「思い」を自覚し、その「思い」を伝えるための舞台装置や登場人物が必要なのです。その総称を東京帝大出身の清水は「つくりもの」と表現し、育ちの怪しい私は「嘘」としました。
今回のポイント
文章は思うがまま
「思い」とは広告的打算と哲学的な真実がある
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