「ニーズ」と「インサイト」は何が違う? 鹿毛氏が語る「マーケティングの真髄」
マーケティングとは、各種分析・定量調査・定性調査などを経て、ビジネス上の戦略をまとめたものである。そのまとめた戦略を施策に落とし込んでいく、この変換作業こそクリエイティブだ。
「消臭力」のテレビCMなどをてがける鹿毛康司氏が「Web担当者Forumミーティング 2021 秋」に登壇。マーケティングとクリエイティブに通底する重要なファクターは「心」であると説く。それは果たしてどういう意味なのか。「ニーズ」と「インサイト」の対比を通じて解説した。
マーケターとクリエイター、両方やって気付いたこと
鹿毛氏は福岡県出身。雪印乳業での営業職から社会人キャリアをスタートさせ、同社のマーケティングやリスクマネジメントに携わる。また米国で経営学修士号(MBA)を取得。2003年には生活消費財メーカーのエステーに入社し、役員を務めた。消臭剤「消臭力」のCMは、クリエイターとしての鹿毛氏の代表作である。そして2020年に自身が代表の「かげこうじ事務所」を設立した。
鹿毛氏が定義するマーケティングとは、各種分析・定量調査・定性調査などを経て、ビジネス上の戦略をまとめたものである。しかし、商品を作る、店舗を作る、パンフレットを作るなどの段階においては、戦略を机上の理論から実際のモノへと変換しなければならない。この変換作業がクリエイティブであり、それを担うのがクリエイターだと定義する。
戦略をクリエイティブに落とし込む、言葉でいうと簡単だがその変換作業はなかなか難しい(鹿毛氏)
消費者の活動を徹底的に分析するマーケター、情緒やひらめきをかたちにするクリエイター、この2つは一見して真逆の職種だが、これを首尾一貫して仕事にしている鹿毛氏。そのうえで、マーケティングとクリエイティブの真髄について「心って重要だよなぁ。でも心って見えないんだよね」と主張する。
ニーズとインサイト
マーケティングの世界では「ニーズ」と「インサイト」という2つの概念がある。前者は顕在意識、後者は潜在意識とも呼ばれ、消費者・生活者の行動様式を考えるうえで非常に重要なポイントとされる。
近年、特に重要だと考えられているのがインサイト(潜在意識)で、人の意識の95%を占めるともいわれる。しかし本人も気付いていないため、言葉でも表現できない。よってマーケターがどれだけ議論・研究を重ねたとしても、探り当てることは極めて難しい。もし、それらしい結論が出たとしても、それは99.9999%はニーズであってインサイトではないと鹿毛氏は断言する。
消費者が商品・サービスを買う理由を「知ってるから買う」「便利だから買う」「好きだから買う」の3つに分類した時、ニーズとインサイトどちらに依拠したかを示すのが以下の図だ。
つまり、3分類のうち「好きだから買う」がインサイトに基づくもので、しかも決定的に重要だと鹿毛氏は説明する。好きな人へプレゼントをする時、その人が「欲しいと言っているもの」を単に贈るのではなく、考えに考え抜いて「その人が欲しそうなもの」を贈り、それが見事に合致すれば一層喜ばれる。これと同じ理屈である。
まずは「自分のインサイト」からはじめよう
他者のインサイトを見つけるのは難しいとして、では自分自身のインサイト――深層心理を知る方法はあるのだろうか。
鹿毛氏によれば「これを考え出すと“闇”だらけでつらい。だから、その闇を癒やすための商品やサービスが求められる。乱暴な表現だが、人々がディズニーランドに行くのは、心に闇があるからだろう」と冗談めかして語る。
たとえば、服を買うとしたら、可処分所得に基づいた範囲で、すでに所有している服と重複しないようなものを優先して買うというのが、一般的な考え方だろう。しかし脳科学・大脳生理学的な見地ではそう捉えない。実際には、無意識のバイアスがかかった状態で買う服を選択しており、「『自分は合理的に買い物をした』という記憶」だけが残っているのだという。
人の心はこれだけ難しい。だからこそまずは自分のことを考えるところから始めるべきだと鹿毛氏はアドバイスする。
自分のことがわからなければ、他人のこともわからない。だから自分のこと(インサイト)を一生懸命考えれば、それは他人の深層心理を見抜くことにも繋がる(鹿毛氏)
人々は、プライベートの範疇であれば、合理性を欠いた行動・選択を日常的に行っている。しかしこれが企業での経済活動となると、論理が最優先され、心情的なものが後回しにされる。こうした実態に多くの人が疑念を持っているはずだと鹿毛氏は述べる。
コロナ禍での学習塾における「インサイト」活用例
ここで鹿毛氏は、自身がマーケティング分野で協力している学習塾チェーン「ベスト個別学院」の例を紹介した。この塾は東北地方に100教室を展開。塾生は6,000人規模だが、コロナに伴う一斉休校が行われた2020年3月、入塾者率が前年比で63%にまで落ち込んでしまった。
生徒たちは「家に飽きた」「友達に会いたい」「親がイライラしている」と口にしているが、これはここまでの理論で言えばニーズ、顕在意識によるものだ。では、彼、彼女らのインサイトは何か。
鹿毛氏自身の学生時代は、中学までは勉強が得意だったものの、高校進学後の成績は壊滅的だったという。その時自分が考えていたのは「自分が悪いんじゃない」。社会制度が悪いのであって、自分の成績不良は自分に起因するものではない――。程度の差はあれ、こうした思いに誰もが一度は辿り着いただろう。しかしこの主張は、おおっぴらにしづらいものである。
入塾数が前年比217%にアップしたインサイトとは
鹿毛氏自身の経験や思い、2020年春の社会的状況を組み上げた結果、ベスト個別学院では、「大丈夫だよ。いっしょに計画を立てようか」と呼び掛けた。
この方向性に基づいたテレビCMを制作。その結果、学校の再開などに伴う落ち込みも一時あったが、月次の入塾数が前年比217%を数えるなど、大きな成果となった。
表層的なニーズと、心の奥にあるインサイト、そのどちらにアプローチするのかはケースバイケースだが、今回の事例は『ニーズにだけアプローチしていても上手くいかない』を証明しているのではないか(鹿毛氏)
マーケティングにおけるニーズの重要性は確かにあるが、一方で、概念としてのニーズが生まれたのは50年以上前のこと。当時とは時代が変わっている以上、インサイトにより注目すべきだと鹿毛氏は説明する。
東日本大震災とミゲルくん「インサイト」活用例
インサイトの例として次に、鹿毛氏は2011年の東日本大震災を振り返った。
当時「がんばる」が1つのキーワードになっていたことを記憶している人は多いのではないだろうか。現実に数多くの死者がいる中で「がんばる」だけを言い続けることには違和感があったと鹿毛氏。
死を巡っては、鹿毛氏は幼少期に父を交通事故で失っている。その際、母親は号泣しつつも、葬式などの際、ご近所の方とほんの少し笑い合う様子が印象に残っていた。これを東日本大震災に際して改めて思い出し、「苦難があった時、人は前に進むため、日常に戻るため、“笑いたい”のではないか」と考えた。
この結果生まれたのが、消臭力のCMの中でも特に知名度が高い「ミゲルくん」のシリーズである。震災発生から2週間後にポルトガルを訪問し、現地オーディションで選んだミゲルくんに消臭力のCMソングを歌ってもらった。幼いながら抜群の歌唱力を誇るミゲルくんと、歌詞のギャップが話題となり、消臭力が市場シェアを大きく伸ばす要因になったという。
つまり、このケースもニーズとしての「がんばる」ではなく、マーケターの個人的体験を起源とする、インサイトとしての「笑い」を追求した結果だと鹿毛氏は強調する。
SNSに真実はないかもしれないが、真実だと思っている人も沢山いる
コロナ問題を含め、社会は常に変化を続けている。コミュニケーションの在り方も決定的に変わっており、それこそSNSの活用は必須だと鹿毛氏は話す。
『ソーシャルはやらない』っていうおじさん方もいますが、それだと大変な事になる。1990年頃『営業にパソコンなんて不要だ』と言っていた方は、それこそ今大変な目にあっているだろう。SNSについてはよく『本当のことが書いていない』『真実などない』からやらないという意見があり、確かにそうかもしれない。でも『真実だ』と思って書いたり利用したりしている人が、これだけの数いるのも間違いない事実だ(鹿毛氏)
SNSは情報発信の前提も変えた。テレビ・新聞などのマスコミ中心時代は「40代女性」「20代男性」など、おおざっぱなカテゴリーでしか広告・宣伝メッセージの送り先を絞り込めなかった。
しかしSNSでは、オリンピックやジェンダーといった社会的関心事などに対し、個人個人があらゆる意見を表明している。そして何より、たとえば30代男性2人がいたとして、その意見が全く同じという可能性は極めて低い。決して一括りにはできない、個性ある人間、いわゆる「n=1」な状態である。
この環境では、企業が上流から消費者のいる下流へ情報を一方的に流しても効果が薄い。企業が消費者側により近づき、友達のような感覚で情報発信すべきであり、そうしたn=1な消費者が情報発信者でもあるとの前提を、十分に踏まえる必要がある。雑誌「日経トレンディ」による2021年ヒット商品ベスト30では「TikTok売れ」が1位になっているが、そうした現象を説明するうえでの好例だという。
インプレッション数が18万! SNSを活用した成功事例
鹿毛氏自身、この一端を既に感じている。消臭力のテレビCMに出演する西川貴教氏らが開催している音楽フェス「イナズマロック フェス」で2019年、会場の仮設トイレに消臭力を設置するキャンペーンを行った。
これを動画で告知し、うちわやシールの数量限定配布も併せて行ったところ、Twitterのインプレッション数が18万、動画再生回数15万回。そして3,000人が実際に配布場所まで足を運んだという。最終的に、この前後5日間で71回ツイートし、その合計インプレッションは137万5,815回に達した。
ここに集まったのは単なる“音楽好き”ではない。『話題を広めてくれる人』たちであり、看護師、教師、契約社員、飲み屋のママさん、マスコミ関係、など立場はさまざま。決して(企業にとって都合の良い)餌食ではなく、もはや仲間だ(鹿毛氏)
こうした“仲間”たちの熱量はただ事ではない。西川氏の写真入り消臭力の新製品が発売されると、地元のドラッグストアの陳列を自発的に美しく整えて、それをTwitterで報告する行為にまで発展した例がある。
フレームワークを著書で否定、そのココロは?
鹿毛氏は2021年5月に著書『「心」が分かるとモノが売れる』(日経BP)を出版した。ネット担当者やマーケターなどをターゲットにした本だが、セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング、4Pといった伝統的マーケティング手法に基づくフレームワークを一切書いていない。それは意図的なものだ。
フレームワークで全てが上手くいく訳ではない。上手くいくなら、誰でも成功できてしまうし、究極的には予算をどれだけ投下できるかの話で終わってしまう。では、なにを考えるのか、それは『自分ができることをやる』。ただし好き勝手にやってはダメ。(芸道における)守破離のように、守るべきは守るが、しかしそれだけで終わってはいけない(鹿毛氏)
とはいえ、そんな鹿毛氏も「お客様の心」については常に考え、軌道修正していると明かす。エステーが例年開催している無料招待制ミュージカル公演の運営に携わった際、ある時、会場開きを待つ来場者の列に並んでみた。すると、実際に並んでいると気になる開き時間など肝心な情報は入らず、スタッフがとにかく忙しそうに動いているだけ。
これではいけないと、多くの並び客を前に鹿毛氏自ら、場を盛り上げるような“話しかけ”を行った。聞いていた客からは拍手が起こり、終演後にはスタッフにお礼をいってくれる例もあり、感激したという。
人に向き合って、喜びを分け合って、お客様が『ありがとう』の気持ちを持ったときに対価がいただける。これこそがマーケティングの原点ではないか(鹿毛氏)
実力マーケターにして有名クリエイターである鹿毛氏が、マーケティングに対する姿勢を語り、講演を締めくくった。
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