インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~

イギリスから送られてきた謎の小包と「アップルコンピュータ」との出会い[第1部 - 第4話]

アップルコンピュータの「Mac」が導入され、働き方が変化していった時代を振り返ります。

インターネット広告創世記〜Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シリーズ第4話。前回の記事はこちらです。バブル崩壊の影響でイタリアプロジェクトが縮小に向かう一方で、1991年〜1993年頃は仕事にコンピューターが導入され、働き方が大きく変わっていった時代でした。

杓谷

第3話では、「Creativitalia(クレアティビタリア)」というイタリア関連の展示会を成功させ、イタリア貿易振興会と「アビターレイタリア」という建築プロジェクトを進めていくところまでお伺いしました。

1989年12月に日経平均株価が最高値を更新した後、1990年には株価が急落し、いわゆる「バブル崩壊」が始まります。その翌年の1991年は、ソ連崩壊や湾岸戦争など、世界史に残る出来事が次々と起こった年ですね。

佐藤

1991年~1993年頃までは「アビターレイタリア」の仕事に携わっていましたが、バブル崩壊の影響が遅れてやってきて、イタリア関連のプロジェクトは徐々に縮小していくことになりました。一方で、この頃仕事にコンピューターが導入されはじめ、働き方が大きく変化していきました。

「Macintosh(マッキントッシュ)」が社内に導入されて

佐藤:私が在籍していた旭通信社の国際部は、米国の広告代理店BBDOと提携しており、米国のアップルコンピュータ(現Apple Inc.)の日本法人設立当初からお取引がありました。そのため、国際部全体に「Macintosh」(以下Mac)が導入されていました。

※Appleの日本法人設立は1983年

ちょうどこの頃、Macのディスプレイ画面がモノクロからカラーになりました。画面に色がついたことで、「Adobe Photoshop」「Adobe Illustrator」「QuarkXPress(クォークエクスプレス)」など、デザイナーにとって三種の神器ともいえるソフトウェアが登場しました。これに伴い、コンピューターを使って印刷物を制作する「DTP」(Desk Top Publishing)や、コンピューターで音楽を制作する「DTM」(Desk Top Music)が普及していきました。

三菱自動車工業のチームにもたくさんのMacがあったので、「こんなことができるんだ、おもしろいな」と感じ、僕もMacを使うようになりました。実際にやっていたことといえば、表計算ソフトの「Excel」やグラフィックソフトの「MacDraw」、プレゼンテーションソフトの「Aldus Persuasion」を使って企画書を作る程度でしたが(笑)。ワープロ(ワードプロセッサの略)が世の中に普及する前から、ドキュメントソフトを使って書類を作成し、FAXで送るといった作業をしていましたね。

杓谷:私たちの世代では知らない人も多いですが、マイクロソフトの「Excel」は最初はMac用のソフトウェアとして開発されたんですよね。「Aldus Persuasion(アルダス パースエージョン)」は今でいう「PowerPoint」のようなソフト。1994年にAdobeが買収し、Windows版も販売されましたが、1997年に製品開発を終了しました。

また、ワープロは1978年に東芝が630万円で販売を開始したのが始まりですが、一般家庭にまで普及したのはこの時代の少し後ですね。インターネット商用利用解禁後のパソコンの普及、性能向上によって、ワープロは「Word」に代表される文書作成ソフトにシェアを奪われていくことになります。ワープロが本格的に普及する前から、すでにパソコンで書類を作成していたというのは、この時代にはとても先進的ですね。

イギリスから送られてきた謎の小包

佐藤:そんなある日、1つの事件が起こりました。国際部の三菱自動車工業のチームでは、企業文化を表現するビジュアルデザインをイギリスのデザイン会社に発注していました。マーケティング用語で「CI」(Corporate Identity)と呼ばれるものです。そのイギリスの会社から、弁当箱サイズの小包が送られてきました。

関係者は全員「なんだこれは?」といった様子で戸惑っていました。そこで、社内のコンピューターに詳しい人に尋ねてみると、「きっと中に『リムーバブルハードディスク』が入っていて、データが保存されているのだろう」とのことでした。さっそくMacにつなげてみると、中には「Illustrator」と「Photoshop」のファイルがありました。ショールームの写真の上に、コーポレート・サインがカッコよくレイアウトされていて、社内のメンバーは一様に衝撃を受けました。

当時販売されていたリムーバブルハードディスク。幅24.5センチ、奥行き24.3センチでまさに弁当箱サイズ
LHD-M100 記憶容量100MB、価格180,000円
出典:Logitec ハードディスクの歴史館
© Logitec Corp.
※画像は2024年10月時点でウェブサイト上にあるのものです。リンク先の情報は今後変わる可能性があります

当時、日本ではデータでデザインを納品するという習慣がさほどありませんでした。僕もこの時初めて見ましたが、これはおもしろいし便利だし、今後広まっていくだろうと思いました。この出来事をきっかけに、Macにさらに興味を持つようになりました。

杓谷:当時としては新鮮で、衝撃的な体験だったでしょうね。「リムーバブルハードディスク」は英語の「Removable Hard Disc」のことで、取り外しできる外付けのハードディスクを指します。USBメモリやSDカードなどでファイルを共有することは現代でもありますが、ハードディスクでデータを共有するというのはこの時代ならではかもしれません。

佐藤:またこの頃、MO(Magneto-Optical Disk)という記録可能なCDのようなメディアも普及してきました。SCSI(スカジー)接続でMOドライブをつなぎ、MOディスクを挿入してデータの読み書きを行うといったものでした。

MO Disc(Magneto-Optical Disk)容量652MB
出典:BASF MOD MASTER Rewritable Magneto Optical Disc 652MB 02.jpg is under CC BY-SA 4.0

「山海塾」の欧州ツアーをきっかけに氏家啓雄さんと出会う

佐藤:同じ頃、「山海塾(さんかいじゅく)という舞踏団から、「欧州ツアーをサポートしてくれないか」という依頼が三菱自動車工業に寄せられました。この時点で、私を含め誰も山海塾のことを知りませんでしたが、たまたまカルチャーに造詣の深い方が三菱自動車工業の社内にいらっしゃったので、快くサポートしていただくことになりました。

写真集 “SANKAI JUKU AMAGATSU DELAHAYE” 写真家: DELAHAYE(1994年刊行 筆者所蔵)

実際のツアーでは、「キャンター」という三菱ふそうのトラックを見栄えよくラッピングして、ヨーロッパ中を回りました。そのツアーを皮切りに、山海塾はヨーロッパで更にブレイクして、演劇界で権威のあるパリ市立劇場でトリをつとめるまでになりました。

しばらくして、山海塾のヨーロッパツアーを取り仕切っていたマネージャーから「おもしろいアーティストがいるのでまたサポートしてほしい」と相談を受けました。大気中の放射線をガイガーカウンターで計測し、ピアノにつないで音を出す「空から降るミュージック」という展示会でした。

そのアーティストが、1992年から1994年にかけて放送された子供向けバラエティ番組『ウゴウゴ・ルーガ』のCG制作を担当された氏家啓雄さんでした。イベントの終了後、氏家さんが会社にお礼に来てくださったことをきっかけに仲良くなり、原宿のオフィスに時々遊びに行くようになりました。当時、氏家さんは「Amiga(アミーガ)」というパソコンで『ウゴウゴ・ルーガ』のCG映像を制作していて、その様子を見せてもらったりもしました。

氏家さんはアップルコンピュータの大ファンで、Macのヘビーユーザーでもありました。すぐに意気投合し、僕もMacやパソコンを使ったクリエイティブな世界に心が惹かれていきました。

杓谷:「Amiga」は、米国のコモドールという今はなくなってしまった会社が販売していたパソコンです。比較的低価格なパソコンでありながら、映像制作やCG制作に優れたソフトウェアが充実していたため、テレビ番組や映像ソフトの製作現場で広く使われていたそうですね。

アップルコンピュータに強く惹かれていく

佐藤:その氏家さんのオフィスにいた若いデザイナーの方が、フリーランスとして独立するという話を聞き、旭通信社の仕事をお願いすることにしました。当時はまだDTPやCG(Computer Graphic)の制作ができる人は社内外に少なく、特に三菱自動車工業の対応には必要不可欠になると考えたからです。

運良く引き受けていただけることになったので、Macの最上位機種の「Quadra(クアドラ)」と、キャノンの数百万円もするカラープリンター、PostScriptへの変換機械を購入しました。合計で1000万円ほどかかったと思います。当時の上司である中村本部長は、新しいものへの感度が高い方だったので、僕が「これからはこういう時代ですよね?」と言うと、「おお、そうだな」と予算が通りました(笑)。

出典:「Apple Quadra 700」 is under CC BY-SA 4.0
© Simon Claessen

杓谷:第2話で登場した「テレックス」を使用していたのが1982年頃のことですから、たった10年で仕事の仕方が大きく変わりましたね。その中心にコンピューターの存在があったわけですね。

佐藤:1000万円かけて購入した機材を会議室に詰め込んで、氏家さんのオフィスから独立したデザイナーさんに使ってもらうことにしました。メインは旭通信社の仕事でしたが、他の仕事をしてもいいという条件でした。僕は日々の業務では彼の仕事に直接関わることはなかったのですが、用がなくてもその会議室に足を運んで、お茶を飲みながら様子を見ているうちに、コンピューターの世界、とりわけアップルコンピュータにのめりこんでいきました。

Mac'n Roll Nightで感じた業界の熱気

佐藤:1990年代、アップルコンピュータジャパン(アップルコンピュータの日本法人)は「Mac'n Roll Night(マックンロールナイト)」というイベントを毎年開催していました。Mac専門誌、広告代理店、ソフトウェア会社などさまざまな関係者が参加し、アップルコンピュータジャパンの社員たちもバンドを組んで競い合うといった楽しいイベントでした。

そのイベントの責任者だったのが、後にアップル日本法人の社長となる方です。当時はアップルコンピュータのマーケティングを統括していました。彼もドラマーとしてライブに参加していましたね。

また僕は、AIクリエーターの松尾公也さんと大学時代からのバンド仲間です。2023年に第1回AIアートグランプリを受賞し、NHKや民放に取材出演、音楽生成AIに関する本も発売して、一気に時の人となりました。そんな彼ですが、当時はソフトバンクが発行していた雑誌『MacUser』の編集長を務めていて、編集部のメンバーとともにこのイベントでバンド出演をしていたので、僕もその様子を知ることができました。熱気に満ち、勢いのある業界だなと感じたものです。

「第1部 - 第5話」に続きます。

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