「ゲーミフィケーション」本の筆者、井上氏が語る、書籍で書ききれなかったゲーミフィケーションの裏側

全てにおいてゲーミフィケーションは必要ない――ゲーミフィケーションの罠
井上 明人(国際大学GLOCOM研究員/助教) 2012/3/14 10:00 |

3月17日にセミナー「ゲームニクス&ゲーミフィケーション ~成功するWebサイト戦略手法」が開催される。セミナーで講師として登壇される国際大学GLOCOM研究員/助教の井上氏から、ゲーミフィケーションに関するコラムを寄稿いただいたので、Web担の読者にお届けしよう。

Web担当者Forumではゲーミフィケーションに関する解説をほとんどしていないため、「ゲーミフィケーションとは何か」に関して知りたい方は、セミナーのほうにまだ若干ではあるが席が残っているということので、そちらを参照してほしい。

全てにおいてゲーミフィケーションは必要ない――ゲーミフィケーションの罠

ゲーミフィケーションという言葉がバズワードとして広まってきている。筆者が『ゲーミフィケーション』というタイトルの本を出した影響もあるのだが、やはり、バズワードらしい展開がなされてきている。「これからは、なんでもゲーミフィケーションの時代ですよね」という、ありがたくない広まり方がはじまっている。

ゲーミフィケーションとは、短く言えば、「ゲームの要素を社会のさまざまなところへ応用する」という行為のことを指す。人間のさまざまな社会活動に、ゲームの仕組みを入れたり、おもしろくしたりする。そういう取り組みは、今にはじまったことではないが、この数年で大きく成功する事例が相次いだ。それはスマートフォンの普及といったような、技術的な状況の変化による新展開だ。

ただ、断じて申し上げておきたい。

ゲーミフィケーションには大きな可能性はあるが、「ゲーミフィケーション」は、何でも解決してくれるような魔法の杖ではない。ケースによっては、何も解決してくれない。

本稿では、本に収まりきらなかった原稿のいくつかの部分に修正を加え、ゲーミフィケーションとは、何ではないのか、そしてどういった限界があるのか、について確認していきたい。

達成したいことは何なのか? ―― 第一の誤解

集合知のためのゲーミフィケーション

研究者が十年かけても解けなかった酵素の仕組みをゲーマーたちの協力を経て数か月で解明してしまったfolditというプロジェクトがある。ゲーミフィケーションの成功例としてしばしば挙げられるものの一つだ。これは、集合知をうまく機能させるためにゲームの要素を使っている。

これは素晴らしい成功例だが、この事例から「やっぱり多くの人を楽しませるのが重要なんだね」と思ってしまうと、プロジェクトの設計を見誤る。

このサービスでは、サービスに携わる全員に楽しんでもらう必要はない。問題を解くために必要な頭脳をもった優秀なゲーマーにとって機能すれば良いのであり、問題を解く能力のない全員をモチベートする必要はない。気にするべきことは、「100人のうちの90人を巻き込めるかどうか」ではなく、「優秀な5人が反応してくれるか」なのだ。

動員のためのゲーミフィケーション

オバマの選挙支援者のSNSなどでゲーミフィケーションの仕組みが使われるなど、選挙のために大量の支援者を動員するための仕組みとしてゲームの要素を使う、ということも大きな成功例が出てきている。

こういったことのためにゲーミフィケーションを用いるのであれば、優秀な数人を満足させるのではなく、可能な限り多くの人々にとって満足感の得られるようなサービスを設計するほうがよい。

または、すでに100人のユーザーがいるサービスでそのうちの90人をどうにかしたいのであれば、ゲーミフィケーションだけで全てがどうにかなると考えるべきではない。その90人が、いままでよりも相対的に満足度が上がるか、あるいは的確に行動支援ができるどうか、そういったことを意識して施策を検討するべきである。

ゲームの要素を取り入れたことによって、不評が巻き起こることももちろんある。しかし、それがクリティカルな問題であるかどうかは状況によって判断されるべきだろう。

◇◇◇

ゲーミフィケーションを通じて、何を達成したいのか。その点に自覚的になる必要がある。これが第一の教訓だろう。

優秀な数人をうまく行動させられれば十分な場合には、100人全員に満足してもらうような仕組みを設計する必要はない。逆に、全員に満足してもらいたい場合に、少数者の満足を設計するような仕組みを作るべきではない。

ルールと評価だけではダメです

目的にあわせて、ルールや評価のあるゲームの仕組みを設計するとしよう。しかし、ここでまた、誤解を生じさせる罠が待ち受けている。

こんな質問をよく受ける。

ルールと評価のある仕組みがあれば、ゲームですよね?

ルールと評価のある仕組みだとか、競争のある仕組みだとか、それだけでゲームだと言う立場の人も確かにいるが、筆者はその立場を支持したことがない。

成果主義って、ルールもあるし、明確な評価もあるから、ゲームですよね?」と聞かれたら、筆者は明確に「それは違います」と言っている。

それには「ゲームを遊ぶ」というのはどういうことかを考えてもらいたい。

ゲームを楽しく遊ばせるにはプレイヤーに「自分が遊びたくて遊んでいる」という感覚を、うまく生じるようにさせてやらなければならない。ゲームとは、ある行為を遊び手に「させている」ものだが、実質的に「させている」にもかかわらず「させられているわけではない」という遊び手の感覚が成立していなければいけない。

一見、矛盾しているとも思えるような2つの事態を、どうにかして両立させることが、「ゲーム」という現象を成立させることだ。

たとえば、ゲーミフィケーション事例ではないが、「スーパーマリオブラザーズ」を学校のクラス全員に遊ばせる場合のことを考えてみてほしい。学校の授業で、スーパーマリオを60分間プレイしなさいと教師が命じたところで、一体何人の学生がマリオを楽しんで遊ぶことができるだろうか? あるいは、ドラゴンクエストでもいい。モンスターハンターでもいい。

ゲームをやる気のない人に対して無理矢理やらせても、それは受験勉強を強制する教師や母親と、それほど変わりがない。

ゲームが遊ばれるためには文脈が必要だ

これが第二の教訓だ。

ゲーミフィケーションは「おもしろくする化」ではない

「見方を変える」ことはアートにでもある

さらに、第二の教訓は、第三の誤解を生む。

「ゲームの文脈を与える」というと、要するに「いろいろなものをおもしろくする」「新鮮な見方を与える」ということだろうと捉えられることが多い。

たとえば、「見方を変える」ことはアートにでもある。1つ、松尾芭蕉の有名な句を考えてみよう。

古池や蛙飛び込む水の音

この俳句がうたっている情景は、単に映像的に考えてしまえば「池にカエルがとびこみました」というだけの話だ。これは、ぼんやりしていると何のおもしろみもないかもしれない映像だ。

しかし、ここで芭蕉は一語「古」という言葉を付け足している。これにより、池はただの「池」ではなく、「古池」といういかにも何も動きがなさそうな静寂な空間として把握されるようになっている。そして、そこにカエルが「飛び込む」という、躍動感のある言葉をもってきたことで、日常の何気ないできごとの「見方を変える」ことをしてみせたことにある。

ゲーミフィケーションは、状況の見方を楽しく変化させるための方法論の1つであることは間違いない。しかし、「状況の見方を楽しく変える」ための方法論は、ゲーミフィケーション意外にもさまざまなものがある。松尾芭蕉がとった手法はゲーミフィケーションではない。

広告での「見方を変える」手法

「見方を変える」という手法は、広告の世界ではとくに適用されている。大貫卓也氏による広告史にのこる名キャッチコピーに「プール冷えてます」というものがある。

としまえん広告ギャラリーに掲載されている「プール冷えてます」の広告(1986年)。

これはとしまえんのプールの宣伝広告だが、これも、また「見方を楽しく変える」ことをしてみせたコピーだろう。これは言うまでもなく、「ビール冷えてます」という、プールとは別の冷たさを想起させるものに通じる言葉をもってくることで、プールの涼しさを想起させることで、誰にでもわかりやすく伝えているコピーだ。

こういった「状況の見方を、楽しくする」ための方法論には枚挙に暇がないが、これらはゲーミフィケーションではない。別の言い方をすれば、ゲーミフィケーションと直接衝突しないが、近いところにある別のノウハウだ。

繰り返したり持続させたりすること

こういった「視点の変更」の手法は、受け手の心に鮮烈な印象を残すことはあるが、そのインパクトだけでは、ユーザーの繰り返しの行動とは結びつくわけではない。

「プール冷えてます」は、としまえんのプールへと人の足を一度は赴かせるかもしれない。しかし、プールに何度も足を赴かせるための仕組みだといえるだろうか。

これを、二度目、三度と、人を継続的に行動させる点にこそ、ゲーミフィケーションが大きく注目されてきた文脈はある。

たとえば、ゲーミフィケーションの代表例として、よく参照される「Nike+」は、ランニングの記録をネットを介して知人とシェアしたり、競争したり、あるいは過去の自分の記録との戦いをできるようになることによって、ランニングをうまく続けさせる仕組みとなっている(※永久に続けさせるわけではない)。

実際の行動を(ある程度ではあるが)持続させたり上達させたりすることのなかに、ゲームの独自のおもしろさはある。

技術の進展によって、さまざまなことにゲームの仕組みを取り入れることができるようになってきた。ここには大きな可能性がある。

しかし、ゲームの仕組みがすべてを解決できるわけではないし、プロジェクトの全体設計や他の要素との組み合わせ方を考えなければ、単にバズワードに踊らされただけの事態に陥ることは必定だ。

「ゲーミフィケーション」をこれからちょっと学ぼうかと考えるみなさんは、むりやりゲーミフィケーションを導入する必要はない。どういったオプションを新たに選べる時代になったのか。そのことを、冷静に評価してもらえれば、と思う。

SwapSkills doubbble vol.03|ゲーミフィケーション/ゲームニクス

セミナー「成功するWebサイト戦略手法 "ゲームニクス/ゲーミフィケーション"」

ゲーミフィケーション本の筆者である井上氏をはじめ、書籍の編集を担当した久保田氏、スーパーマリオの制作を行い、ゲームニクス理論を提唱するサイトウ氏、ゲーム力学を取り入れた成功したWebサイトを手がける桜井氏が集結し、成功するための本当の理論、考えを学ぶことができるセミナーイベントが3月17日に開催される。書籍には書かれていない、Webに特化したテーマでの講演が予定されている。若干の残席にぜひ滑り込みしてほしい。

  • イベント名: 成功するWebサイト戦略手法 "ゲームニクス/ゲーミフィケーション"
  • 日時:2012年3月17日(土)13:15 ~ 17:00(13:00受付開始)
  • 会場:きゅりあん
  • 定員:200名
  • スピーカー:サイトウ アキヒロ(立命館大学 映像学部 教授)/井上 明人(国際大学GLOCOM助教)/久保田大海(NHK出版)/櫻井 優樹(Metamosphere Inc.)
  • 対象者:Webディレクター Web担当者 アートディレクター UIデザイナー アプリ開発者
  • 参加費:6,800円

セミナーの詳細情報と申し込み:
http://swapskills.info/doubbble/03.html

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