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大阪知事「ケータイ禁止令」、波紋…歓迎と戸惑い(読売新聞より)
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20081205nt06.htm
教職員やその志望者がよく見ているサイト「内外教育研究会」にも。
小中で携帯禁止、知事「学校に不要」=大阪府
http://book.jiji.com/kyouin/cgi-bin/edu.cgi?20081204-3
以下今回の件についての私見です。
※Z会としての意見や、私が参加しているEMA(モバイルコンテンツ審査・運用監視機構)の立場からの意見ではないことを予め断っておきます。
EMAはこちら↓
http://www.ema.or.jp/ema.html
なお、EMAは、月刊『高校教育』(学事出版)新春号(来週あたり発売でしょうか)に記事を寄稿しておりますので、是非教育関係者はご覧くださいませ。
月刊『高校教育』はこちら↓
http://www.gakuji.co.jp/magazine/highschool/index.html
まず、本決定に賛成かどうか、という二者択一論では「賛成」です。
誤解を恐れずに言えば「大賛成」に近いです。
僕自身は会社でケータイマーケティングを担当していますから、ケータイの利用時間が増えることは(それだけ見ると)嬉しいことですし、一律に「コミュニケーションサイトは子どもに見せてはいけない」と定義することには反対、という立場なのですが、にも関わらず、と捉えていただければいいでしょうか。
学校(構内)では必要ないってことなんです。
このテの問題は、メリット・デメリットを一括して捉えることが一番良くないですね。
簡単に例示しますと…
本決定に「反対」論者は「防犯上必要!」を唱えることでしょう。
本決定に「賛成」論者は「教育に悪影響」を唱えることでしょう。
どちらが正しい姿勢か、と問われると、「そればかり唱える人が一番間違い」とだけは思います。
便利にはリスクがつきもの。
それを子どもたちに教えずにケータイが子どもたちに使われてしまっているのが一番の問題なのです。
ましてや、「危ないことばかりするから」「学力低下につながるから」といって、子どもたちを責めるような口調で大人が表現するのもよろしくない。
そのような社会を作ったのが、他ならぬ大人たちなわけですから。
社会全体で、便利にはリスクがつきもの、という姿勢が欠落し、それが現象として表れたのが、子どものケータイを取り巻く環境と言うことだけは間違いのない事実です。
子どもたちは、被害者。
この認識からすべて「じゃあどうすればいいか」が始まります。
話を戻して、なんでこの決定に賛成か、というと、短く言えば「ケータイとの接触時間を(強制的に)少なくする方向性に賛成」となります。
ゲームと同じで、持っていると、使っちゃうのが人間です。
僕自身、ケータイ所持者が世の中の・そして同世代のマイノリティーの頃からケータイを持っていますが(所持し始めた頃はメール機能、ありませんでした)、通話料が高かったため「なるべく連絡のときは公衆電話で」と思っていたにも関わらず、持っているとついつい「めんどくさい」が先に出て使っちゃっていましたし。
若年層を見ていると、必要以上に、ほんとに必要以上に…
ケータイに依存していると感じます。
そして、精神年齢的に「依存からの脱却」を「自分の意志で」どうしてもしにくい、あるいは「依存している」ということに気づいていない人が多いのが、若い人たち。
若さゆえ、こればかりは仕方ありません。
というわけで、学校という「教育」をメインの目的とする場では、「ケータイが必要」を上回るデメリットがあると考え、賛成となるわけです。
防犯上の目的でケータイ所持、というのも、すごくよくわかりますが、だからといって“これだけ”で「ケータイ持ち込み禁止に反対」とするのは、保護者の過保護・過干渉色が強いと感じます。
また、本質的には、「ケータイを持っていないと防犯上不安」となってしまっている社会の方が問題で、そんな社会は嫌だ、だから少しでも大人たちで変えられる所は変えていこう、という姿勢を(社会全体で)醸し出したほうが建設的です。
※だからといって「社会が悪いわけで、防犯上不安、と言う論はおかしい」というわけでもありません。気持ちはわかりますし、不安だから持たせる、という行為もあるでしょうが、その行為のみを強行に主張するのも良くない、というダケです。
一方で、「持ち込み禁止」という決定にほっと胸をなでおろし、「これでケータイのことを知らなくていいんだ~」とする学校の先生がいたら、それもまた問題です。
繰り返します、子どもは被害者であって、大人が作ったケータイという利器に子どもたちが弄ばれて被害が拡大している、それは大人が「子どもたちのことを」「ケータイのことを」不勉強だから、なんです。
持ち込み禁止になったからと言って、ケータイはなくなりません。
今回の大阪府の決定を機に、今一度、ケータイと子どもを取り巻く環境について大人たちが真剣に考えて欲しいと思います。
また、この希望だけは、EMAが目指そうとしている姿勢と一致している、とだけは、EMAの「啓発・教育プログラム部会」に参加している身として、申し上げておきます。
※本投稿記事は、毎日更新中のZ会ブログ
http://www.zkaiblog.com/histaff/
の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。
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