[特別インタビュー]世界最大級のCGM「ウィキペディア」の仕掛け人ジミー・ウェールズ

ブログとは異なる参加者のモチベーション

●瀧口 ウィキペディアの編集者たちは、どんなモチベーションでここに参加しているのでしょうか。特定の語句の主になりたいと思うのですか。

●ウェールズ いろいろな理由があります。いいウィキペディアンたち、つまり長期間にわたってウィキペディアの編集を行っている人たちに聞くと、最初は匿名で何かの語句説明にちょっと手を入れるというようなことから始まるようです。記述や文法が間違っているのを直したかったからです。これを何回かやると、アカウントを持ち、そのうち編集者としての道を歩むようになります。ただし、「主」という意識でアプローチすると、社会的には居づらいものになるでしょうね。他の人もそこに変更を加えることがあるわけですから。そのあたりが、ウィキペディアンの性格がブロガーと異なる部分でしょう。ブロガーは自分の主張を明らかにしたがりますが、ウィキペディアンは自分の知性と執筆の労力でウィキペディアに貢献しているのです。

●瀧口 あなたは、オープンソース(リナックス)のリーナス・トーバルズのような存在ですか。リナックス開発では、非常に細かなグループがたくさんあって、それぞれにリーダーがいるけれども、コミュニティ全体の性質を定めているのはトーバルズだと言われますね。

●ウェールズ 実践的な意味では異なると思いますが、原則的には同じです。つまり、争いを調停する。その経験について実績がありますから、私の言うことには皆が耳を傾けてくれるという存在です。しかし、それは私だけではなく、仲裁委員会のメンバーやコミュニティのリーダー、よく知られたアドミニストレータなら、同じように持っている資質です。オープンソースと異なるのは、ウィキペディアはプログラミングよりももっとオープンなプロセスであり、最終的な成果品をチェックしたり訂正を加えたりする人物がいないことです。

記述内容の正確さはブリタニカに匹敵

●瀧口 科学雑誌の『ネイチャー』がウィキペディアとブリタニカ百科事典を比べたところ、科学用語についてはウィキペディアのほうが間違いが少なかったという結果が出ました。科学以外にウィキペディアが得意な領域は何ですか。

Jimmy Wales

●ウェールズ ウィキペディアは、お堅い科学やテクノロジーの分野には特に強いです。あとはポップ・カルチャーなど新しい分野は、ブリタニカには真似のできないものでしょう。テクノロジー分野が強いのは、そもそもウィキペディアがインターネットに由来していて、編集者にもテクノロジー・ギーク(オタク)が多いからです。反対に弱いのは、人文科学や芸術です。その原因は純粋にどんなユーザーが中心だったかによっています。しかし3年前に比べて、ウィキペディアは語句の種類でもその質でもかなりの多様性を増しました。始めた当初は、ユーザーの半分はプログラマという状態でしたから。プログラマといっても非常に幅広い関心を持っている人も多いわけですが、それでも関心の核の部分はだいたい想像がつきます。

●瀧口 百科事典では、説明がどの程度長いかとか、そもそもブリタニカに掲載されていること自体が重要といったように、その語句の重要性を推測する別のクライテリア(基準)が存在しています。スペースも無制限で個々に解説文が作成されるウィキペディアでは、そうした補足的な判断基準が見つけにくいのではないでしょうか。

●ウェールズ 解説文の質を表現する方法はいくつかあります。たとえば、「この解説文には中立性がない」といったようなコメントを書き込むことができます。さらに、コミュニティが「ちゃんとした情報が載っていない」とか「役に立たない」という理由で語句自体の削除を決定するというプロセスもあります。またドイツ語版では、編集のできないバージョンをつくろうとしています。これなど、ある意味で質の高さを保持しようという試みです。

●瀧口 ページの表示フォーマットについての質問です。今やわれわれは、グーグルの検索結果リストをざっと見て、そこから自分なりのコンテキストや意味を構築するといったことに慣れてしまいました。その視点から見ると、ハイパーリンクがたくさんあるとは言え、ウィキペディアの写真とテキストが並んだフォーマットは古風に見えます。このフォーマットに限界は感じませんか。

●ウェールズ 限界はあるでしょう。しかし、これは百科事典ですからね。だから従来の百科事典と同じフォーマットを踏襲しているのです。そしてこのフォーマット自体を、ユーザーはプロセスの一部として利用しています。私が観察する限り、インターネット文化では次のようなことが起こっていますね。つまりグーグルで何かを検索する。3つ、4つとリンクを開けていく中にウィキペディアがあって、「これは使えるじゃないか」と思う。次からはウィキペディアを選んで、これまでとは違った方法で情報を得るようになる……。そうやってどんどん移っていく、そのプロセスの中の1つなのです。

「みんなの意見は正しい」
多様性の尊重が正確性を高める

●瀧口 「合意」のプロセスについて伺います。ウィキペディアでは、語句の定義自体について全会一致する必要はないけれども、語句の解説のされ方については合意が必要だということですね。

●ウェールズ 両方です。プロセスが健全に動いていれば、見解の異なる編集者たちが、多様な見方をフェアに表現したものだと、そのエントリに合意する。例を挙げると、カトリックの神父と計画出産のアクティビストの両方が「堕胎」についてのエントリ内容について、互いの意見は違うけれども、これは全体の状況をよく反映したものと認めるようなことです。多様な人々が認める解説文は、それだけ強いものになっています。

●瀧口 フェアか否かという評価方法の方が、正誤よりも重要ですか。

●ウェールズ 両者は密接につながっています。誤っているものはたいていアンフェアですし、正しいものはフェアです。ウィキペディアの編集方針というのは、非常に伝統的なものでもあります。つまり、もしある解説文が正しくないと主張するならば、論拠となる出典を示さなくてはなりません。出典で正当性を裏付けるのです。疑わしい記述に対して出典を求めても、「出典など不要」と返してくるようなら、正当性は成り立ちません。そこは学術論文と同じです。「誰か有名な人がこう言った」といったことが指し示せれば、物事は前進しますし、いい解説文になります。単なる思いつきで議論をふっかけてはいけないのです。

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