広報が苦境に立たされた時どうする? 「レジリエンス(回復力)」の鍛え方
苦しい状況を跳ね返して回復する力を表す「レジリエンス」は、コロナ禍の中で、個人においても組織においも、ますます注目されている。
そこで、グローバル企業のPR/広報など、さまざまな経験をされ、現在は、自身の会社を経営する傍ら、山梨県知事政策局で広聴広報の参与として非常勤ながらも業務にあたっているトンプソン智子さんに、ビーコミの加藤恭子さんが「広報のレジリエンスの鍛え方」をテーマにお話を伺った。
*なお、記事中の社名はすべて当時のもの。
撮影:小沢トモノリ
ニュースは作るもの。だから広報・PRっておもしろい
トンプソンさんの社会人の始まりは、18歳で就いた「つくば博」のコンパニオン。「もともと人と接することが好きだった」というトンプソンさんは、その後日本航空の委託先やエジプトの航空会社での地上業務、予約発券業務の仕事を経て、東映のイベントプロデューサーの1人になる。
そして担当したイベントの1つが、香港スタジアムでのセーラームーンのミュージカルショーだった。香港でチケットをさばくため、現地PR会社と仕事をすることになったが、当時はまだ宣伝とPRの違いや、PR会社とは何をする会社なのかもわかっていなかったという。現地で記者会見を開催したいというPR会社の人の要請のまま、日本から役員と3人のセーラームーンを送り込んだ。
そして記者会見当日。香港の街を、セーラームーンが踊る2階建てバスが走りまわり、やがて到着した記者会見場には、50人以上のメディアの人間が集まって大盛り上がりとなった。トンプソンさんを驚かせたのは、このイベント当日だけではない。翌日、現地香港の朝刊が、トンプソンさんの気持ちを大きく動かした。
PR会社の手配で早朝ホテルの部屋に届いた新聞は、10紙くらいあったと思います。ほぼ全紙の1面にセーラームーンの記事がカラーの写真入りで掲載されていました。あのときの驚きと感動はいまだに忘れられません。「あー、ニュースって作るものなんだ、作れるんだ」。そう思った瞬間に、これはおもしろい、広報という仕事は生涯の天職になるかもしれないと思ったんです(トンプソンさん)
帰りの飛行機の中ではいてもたってもいられなくなり、「とにかく日本に降りたったら、この仕事をしよう」と決めたという。
人生初のリストラ。でも、自分の価値をきちんと知れば転職も怖くない
すぐにも企業側のPRの仕事がしたいと思ったトンプソンさんは、リクルーティング会社に相談するが、まずはPR会社に入って経験を積んだ方がよいといわれ、電通バーソン・マーステラ(当時)に入る。
当初は担当となったチリ大使館から、あれもこれもPRしたいといわれたものの、戦略的に「ワイン」に絞ることを提案して、チリワインブームを作ることに成功した。
グローバル案件は各国の思惑もあるのでまとめにくいですが、日本の大使館が独自で舵をきれたのでやりやすかったですね。ニューヨークやパリでも同じようなキャンペーンをやっていたんですが、他の地域よりも日本が成功して、「なんで日本は成功したの?」と聞かれるぐらいうまくいきました(トンプソンさん)
しかしその後、人生で初めてのリストラにあう。グローバル企業でのリストラは珍しいことではないが、当時はまだ若く世間を知らない頃だった。自分の存在が全否定された気持ちになり、全力で仕事に取り組んできただけに涙が枯れるまで泣いたという。
そして転職したのが、統計解析ソフトウェアの米国企業SASの日本法人。マーケティング部創設のタイミングでPRの専門家が必要となり、マネージャーとして立上げから行った。IT業界は初めてで特にBtoBのPRは未知の領域だったが、「私はPRのプロ。プロであれば業種を問わず何でもこなせるはず」と飛び込んだ。
フィールドは違っても、プロとしてやるべきことは同じ。仲間とチームを組めば、自分がわからないことがあっても怖くない(トンプソンさん)
業種や、BtoBとかBtoCなどで仕事を選ぶ人も多いですが、トンプソンさんのように業種・業態が変わっても能力を発揮できるポータブルスキルをもっていることが大事ですね(加藤さん)
SAS退職後は、米国のトリップワイヤの日本法人立上げに関わるが、1年でまたもやリストラにあう。しかし2回目のリストラでは泣くことはなかった。「経験って自分を大きくしますよね」とトンプソンさんは微笑んだ。
加藤さんからのTips1
転職に備えて、人材紹介会社と継続的に接点をもち、情報交換しよう。自分の価値を知っておくことが大切!
最近はリファラル採用(社員などの紹介による採用)も増えているものの、相変わらず法人立ち上げ時などの非公開求人はあります。上の方のポジションになればなるほど、公募しないことが多いのです。そのような情報は人材紹介会社からしか入手できません。
自分から積極的に転職する気が無くても、リストラなどに備えて、また自分の市場価値を正しく知る意味でも、複数の人材紹介会社と接点をもっておくと良いでしょう。友人、知人が転職時に頼んだ人などを紹介してもらうのがいいのですが、つてがない場合は、何人かに接触して、業界を知っていて親身になってくれる人かどうかを見極めましょう。成功報酬欲しさにすぐに転職を促したり、単に右から左へと履歴書を流すだけの人は適しません。
今はとどまるべきとアドバイスしてくれたり、業界動向を教えてくれたり、こちらの良さを理解し、少し背伸びしたポジションに売り込んでくれる担当者に巡り会うと、自分が成長できるいい転職に結びつきます。私も独立前に人材紹介会社経由で2回転職をしており、30代前半で某外資系企業の日本のマーケティングの責任者というポジションに就くことができました。
外資系企業の本社から指摘が! でも、日本法人として最善の策をとる
次に、AOLジャパンでブランドマーケティングを総括するPRマネージャーになったトンプソンさんは、一生忘れられない経験をする。AOL本社が、日本法人を売却することになったからだ。そのためのプレスリリースを、アメリカのAOL本社と読み合わせたときのこと。本社側は、日本語のプレスリリースを翻訳した内容をみて、表現を変更しろといってきたという。指摘されたのはbusiness transfer(事業譲渡)という言葉だ。
ちゃんと「acquisition(買収)」と書けと言ってきたんですよ。アメリカでは、売却したという事実が株価にも影響するので、生ぬるい表現では絶対ダメだと。でも日本でのメディア戦略としては、日本語のプレスリリースは「事業譲渡」のままでいきたかった。同じ意味だとしても「売却」や「買収」だとネガティブになってしまって、何十万という会員の離脱につながりかねませんし、ビジネスへのダメージにつながる。
結局、今だから言えますが、当時の日本法人の社長(オーストラリア人)が、電話会議でアメリカ本社役員に、「わかった、acquisitionに書き直しする」と言ってくれて。でも私には、「どうせ彼らは日本語がわからないんだし、俺にもニュアンスの違いはわからない。トモコがベストと信じた日本語でGOしろ」と、書き直しをせずに事業譲渡のままいけたんです。私を広報のプロとしてリスペクトし、最後まで日本を守ろうとしてくれた彼の勇姿を未だ忘れられません(トンプソンさん)
結果、リリース後翌日の新聞には1紙を除き、事業譲渡という表現が使われた。
加藤さんからのTips2
上の正論に迎合しないようにしよう
外資系企業の場合、本社側の広報責任者(コミュニケーション担当)に決定権があることが多いです。担当者はその分野のプロではあるものの、日本という国の細かな事情までは知りません。日本企業の場合も、最終決定権のある社長は経営のプロではあるものの広報のことは知りません。このまま進めてはメディアに受け入れてもらえないと感じる場合は、迎合するのではなく最善の策が取れるように交渉することを諦めないことが大切になります。
加藤さんからのTips3
英語は武器になる
トンプソンさんのような、外資系で活躍する広報担当が最近増えている印象です。ツイッターでノウハウや体験談を発信しているケースも目につくようになってきました。自分の可能性を広げるために、所属企業が海外展開をしたり、海外企業と提携をしたりする時に備えて、英語は学んでおくのがオススメです。留学のチャンスがなくても、今はオンラインで学べる環境が多数あります。LinkedInやCouseraなどには英語で学べる広報の講座も用意されており、無料のものもあります(公式な修了証を必要とする場合は有料プランとなるものもが多い)。
バラバラの社員意識。でも、コミュニケーションでワンブランドにする
AOLの後は金融系のゴールドマン・サックスで、PRとは全く異なるホスピタリティグループでVPとしての活躍の場を得ることになった。ニューヨークではクリントン元米国大統領とも仕事を共にする機会に恵まれるなど、大きな世界が仕事の舞台になった。しかし、やはりPR/広報の仕事を手掛けたいと退職を決め、その後縁あって日本最大級のゴルフ場運営会社パシフィックゴルフマージメントに転職し、広報部長となる。
東証一部上場企業でありながらも、当時広報部門がなかったためゼロからの立上げだった。外資のファンドが入って上場した企業のため、広報が不在だった期間は、安くゴルフ場を買って売り抜けるんだろうと黒船来航的な見出しのニュースが毎日のように新聞に書かれていたという。そんな状態の中での入社。まずはやらなくてはいけないことにプライオリティを付けて着実に実行していった。そして、一番の課題はメディアではなく、社内コミュニケーションにあるとわかった。
M&Aで大きくなっていった会社なので、意識がバラバラ。社内でコミュニケーションをとってワンブランドにしなくてはいけないと思いました。沖縄から北海道まで、全国で1万人以上の従業員がいて、しかももともとは別々の会社出身。心を1つにまとめるには、本社に頼れる人がいる、と示していかないと本社の言うことは聞かないぞと思いましたね。それでメディア対策は後回しにして、社内活動に努めました。そうしないと成功しないと思ったので(トンプソンさん)
加藤さんからのTips4
社員との意識合わせをおろそかにしない(インナーコミュニケーション)
広報と聞くとすぐに対メディアを考えてしまう人が多いのですが、社内がバラバラでまとまっていないと、一貫したメッセージをうまく発信することは難しいです「(特にM&Aなどで異なる文化の会社が一緒になった場合に顕著です。)オンライン社内報や動画メッセージの共有、対面イベントなどを通じ、社員に会社のビジョンを理解してもらい、意識合わせを行うことが重要になります。
マスコミからも県庁に問合せが! でも、窓口一元化で危機管理
ゴルフ場運営会社を辞めたトンプソンさんは、起業して現在に至っている。サラリーマンとしてまた転職するつもりで就職活動を続けていた時に、「時間があるならうちのPRを手伝って」という声がけが4、5人からあったからだ。友人からも「あなたの人脈があれば起業すべき」と言われ、起業という選択肢があるんだと気付き、キープペダリングを起こす。
そして今年の4月1日からは、山梨県の知事政策局 広聴広報グループの参与になり、非常勤で週に3日は山梨に通っている。実務アドバイスと、知事周りのPR・広報、リスク管理や取材対応、各部局のPR戦略立案等が仕事の内容だ。
4月1日に入庁したときには、コロナ拡大の真っ只中。感染者数が増える中で、毎日のように知事の臨時記者会見があった。県の職員たちと一緒に、危機管理を含め、ゼロから記者会見ノウハウを作り上げていった。
感染症拡大第一波の真っ只中で、コロナに感染して陽性とわかりながらも東京にバスで帰ってしまった感染者の方のケースは、世間からのバッシングがすごかったですね。それこそ、ふだん県政とは接点がないような週刊誌やワイドショーからも電話がきて。危機管理の点からも、私にメディアからの問合せを一元化しました。民間ではあたり前のことが役所では当たり前ではなく、むしろ手分けして分担しようとしていたのを、正したということもありましたね。まだまだ地方行政の広報はやること山盛りです(トンプソンさん)
加藤さんからのTips5
問合わせは一点に集める
メディアからの問合わせは必ず広報部門で回答を行いましょう。FAQを作成し、思いつきでは回答しないことが大事です。リスクのある内容、炎上した場合などに対応できる経験者が社内にいなければ、外部コンサルタントの指示を仰ぎ、問合わせへの対応方法を明確に定めておきたいものです。初期対応を間違えなければ、正しい文脈での露出の増加や、炎上の早期鎮火に効果が見込めます。
いろんなことがあったけど、多くの経験に鍛えられ、それが財産となった
PR会社やBtoB、BtoCの事業会社と、いろいろな経験を蓄積され、鍛えられてきたトンプソンさん。今が一番楽しいという。尻込みせずに経験は積んだ方がよいと話してくれた。
これまでのいろんな経験を組み合わせて、自分のナレッジを展開できる良いフィールドを与えられている今が、人生で一番で楽しいですね。経験はどんどん積んだ方がいいです。やったことがなくても、いただいたものをチャンスと思って自信をもってやった方がいいですね。特にこのコロナ禍はピンチをチャンスと思える人と、そうでない人とでは、大きな差がつくでしょう(トンプソンさん)
加藤さんからのTips6
経験は、他の人との差別化に繋がる
本を読んでも勉強はできますが、現場の経験に勝るものはありません。メディアに紹介しにくい商材、なかなか協力してくれない同僚、失言の多い社長など、そんな環境であっても、露出しづらい中で培った経験は財産になります。
そして、「フィールドに出ることが大切」だとも。なぜなら答えは現場にあるから。たとえば、どうしたらメディアに取り上げてもらえるかわからなかったら記者に聞きに行けばいいという。
報道などに携わっている人たちに直接答えを聞く、これに限るんじゃないですかね。彼らだってコミュニケーションを求めています。「人脈が財産」です。一人で広報はできないですし、広報はコミュニケーションしてなんぼなんで。結局「人と人」が大切です(トンプソンさん)
――本日はありがとうございました。
取材を終えて
リストラや所属企業の買収などの辛い体験もしてきたトンプソンさん。でも、そんなことでは心は折れず、果敢に新しいフィールドに飛び込んでいます。久しぶりにお会いしましたが、ますますパワフルで素敵な人になっている印象を受けました。コロナ禍で今まで通りの広報活動ができず、対面の機会も限られるのですが「今の状況で何ができるか」を考えながら、前向きに進んでいくためのヒントになれば幸いです(加藤さん)
*本インタビューは、撮影時のみマスクを外しています。インタビュー時には、距離を保ってマスクを装着して、コロナ対策に考慮した取材を行っています。
トンプソン智子 長野市生まれ。多くの企業で広報やPRを担当し、AOLジャパン広報室長、PGMホールディングス広報部長などを経て、平成27年に起業しキープペダリング設立。自社経営を続けながら、2020年4月から山梨県参与(非常勤)。東京都在住。
加藤恭子 IT系月刊誌、オンラインメディアでの記者・編集者を経て、BtoBのIT企業でPR/マーケティングマネージャーを歴任。2006年に個人事業としてビーコミュニケーションをスタート。2007年より株式会社ビーコミとして法人化。複数企業のPR/マーケティング支援を行うほか、各種媒体で執筆活動や企業・団体向けに講演活動もしている。PRSJ認定PRプランナー。日本マーケティング学会理事、サイバー大学客員講師(コミュニケーション論)。
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