ライオンの事例に学ぶ! AI導入・浸透を失敗しないために知っておきたい3つのポイント
AIや機械学習を実際に事業に活かす機会が増えてきている。もはやAIは先進IT企業だけのものではなく、身近な日用品の製造業でも活用が進んでおり、大手日用品メーカーのライオン株式会社でもAI活用が進んでいる。
「デジタルマーケターズサミット 2021 Winter」にて、ライオン株式会社の黒川博史氏は、AIが製品開発にどのように貢献するのか、デジタル活用推進における成功のポイントを紹介した。
デジタル活用は手段、主目的は業務変革
ライオンは、2030年に向けた経営ビジョンとして「次世代ヘルスケアのリーディングカンパニーへ」を掲げ、価値を提供する4つの領域を設定した。そのひとつが、オーラルヘルスだ。
黒川氏によれば、「ライオンは2000年代初頭からほぼ全従業員が歯科検診を行っているため、口の中のデータを非常に多く持っている。これらのデータを活用して口腔健康への適切な提案が実現できると考えている」という。現在、こうしたデータを活用し、異業種や歯科医院、大学などと協業して、個々の生活者にパーソナライズした最適なサービス・ソリューションを提供するビジネスの構築を進めているところだ。
黒川氏は、元々は基幹技術である油脂の基礎研究と開発を行う研究職の社員だった。入社10年目に発足したデジタル・イノベーション・プロジェクトへの参画をきっかけに、イノベーションラボやデータサイエンス室など、デジタル領域に転身。現在はDX推進部長としてAIを中心としたデジタル技術の社内活用を推進している。
DX推進部の目指す姿は「デジタルテクノロジーを活用し、ライオングループの事業活動の変革を先導し、企業・生活者・社会の習慣を変えるヘルスケアプロダクト・サービスを提供する」というもの。取り組み領域は、「オペレーション変革」「デジタル・データ活用変革」「提供価値変革」「組織風土・デジタル基盤変革」の4つだという。
DX推進における、デジタルは手段であり、業務変革が主目的。使うデータはビッグデータ、特にヘルスケアデータにこだわりたい。そして、ツールとして機械学習を使うことで、新たなビジネスモデルへの変革を実現していきたい(黒川氏)
DX担当者が重視すべきポイントとは
黒川氏は、デジタル化やAI活用を社内に浸透させるために、以下の3つが重要だと言う。
① 人材育成
データサイエンティストは、人材不足かつ採用が難しいと言われ、社会的な課題にもなっている。しかし、ライオンは元々理系人材が多い会社だったこともあり、社内の人材をデータサイエンティストに育成する取り組みを行っているという。
研究開発の部署では、数学や統計学の基礎知識を有している人が多いため、機械学習を新しく学ぶことは、基礎知識を有していない人と比較するとハードルはあまり高くないと考えている(黒川氏)
また、副業やフリーランスの人材と協業する社内体制が整っているため、フルコミットのデータサイエンティストを雇うだけではない選択肢も活用ができている点も、ライオンでDX推進がうまくいっている秘訣だという。
【成功のポイント】
社内の理系人材のスキルアップ、フリーランスのデータサイエンティストと協業
② 課題設定
AI活用の成否を分けると言っても過言ではないことは、適切な課題設定をすることだ。「AIで何を実現するのか」具体的には「どの領域で、どの程度の精度でAIを活用するのか」「減った工数で人間は何をするのか」といった、ゴールを関係者全員で共有できると、AI活用がうまく進むという。たとえば、単に数字だけで「○○%の精度を目指す」というゴールを設定すると、日頃見聞きするニュースの数字などと比べて低いように感じることがある。このような場合は、「これまでのやり方では△%だが、AIを使ってそれを○%まで改善する」……といったように、掘り下げて課題を設定していくことが重要だという。
的確なゴールを設定するためには、知識学習だけでは不十分で、実際にやってみて、失敗した経験が必要。数えきれないほどの失敗を私も経験しています(黒川氏)
【成功のポイント】
何に対してのゴールなのか掘り下げて課題を設定する
③ 環境
環境整備として、必要なのは以下のポイントだという。
- 分析インフラを用意する
- データ管理の手法を決め、プラットフォームを整備する
- 分析ツールを導入して、スキルを身につける
黒川氏が盲点だったと言うのが、分析インフラの整備だ。多くの企業では、仕事で使うパソコンは会社から支給される。この支給パソコンは、定期的に新しいものに更新されるのが一般的だ。このため、タイミングによっては、最新とはいえないパソコンで仕事をしなければならない時期がある。ライオンでも、まさにこの問題が起きていた。
具体的に言うとPCのbit数が足りなかったのですが、人としてスキルはついていても、環境整備が充分でないため活用できないことがある。情報システム部門に相談して、解決にあたりました(黒川氏)
これからAI活用を進めようと考えている場合は、このように事前に整備しておかなければならないことがあることを覚えておくといいだろう。その他、クラウド型のツールに社内のデータをアップロードしていいのかなど、データ管理面でも検討してクリアしていくべきことがある。
【成功のポイント】
分析環境用PCや、データをどこに保管してどう管理するかなどの事前準備が必要
AI活用事例 ① で歯ブラシ開発を効率化
ライオンの研究開発では、さまざまな分野でデジタル化やAI活用が行われている。歯ブラシ開発においては、以下の流れで最終的な製品の仕様が決まっている。
開発方向性設定 → 仕様検討 → 絞り込み → 試作品開発 → テスト → 最終仕様設定
歯ブラシは、主に3つの部分「ヘッド部(ブラシの部分)」「ネック部」「把持部(ハンドルの部分)」からできている。特にヘッド部については、大きさ、ひとつの毛束を植える穴の大きさ、使用する用毛の種類、カットの形状など、多くのことを検討する。製品コンセプトから仕様を検討して試作品を作るが、サンプルは手作業で作り、それをテストして最終的な仕様を決めていくため、仕様設定までにはかなりの時間を要する。
歯ブラシのパッケージには必ず毛の硬さが表示されている。これは家庭用品品質表示法(家表法)で表示が義務づけられており、JIS規格で試験方法や値が決まっている。「狙った硬さの表示区分にあてはまるかどうか、仕様ごとにサンプルを作製して評価する必要があり、サンプル作製から評価を終えるまで数日がかかる」(黒川氏)という。
そこでライオンでは、これまで開発してきた歯ブラシのデータを機械学習にかけ、毛の硬さの予測モデルを構築した。
作ろうとしている歯ブラシの仕様データをこの予測モデルに入力すると、狙った毛の硬さになるかどうかが予測結果として示される。「狙った毛の硬さにはならない」という予測結果が出たものは、面倒なサンプル作りをしなくていい。
つまり、今までは全部作って試してみないと、どれが狙った硬さになるか分からなかったため、仕様決定に数日かかっていたが、AIによる予測とシミュレーションにより、約1時間で済むようになったという。図の例で言えば、これまでは5本のサンプルを作ってテストをしていたが、作ってみるのは2本でよく、毛の硬さ以外の使い心地やデザインのチェックの方に労力を割くことができるわけだ。
AI活用事例 ② ハミガキ向け香料開発ではベテランの知見をAIに移植
AIは、ハミガキ向け香料の開発にも活用されている。ライオンでは、「毎日のハミガキを楽しんでほしい!」という想いから、オーラルケア製品専門のフレーバリストによるフレーバー開発を行っている。フレーバリストは、目指す味や香りになるように約500種類の香料原料の中から試行錯誤で調合し、熟達フレーバリストの知見はライオンの貴重な財産になっているという。
ただし、一人前のフレーバリストになるには10年かかるという。若手と熟達者では思考にどのような違いがあるのかを比較しているのが以下の図だ。熟達者は複数の視点をひとつながりで捉えているので、実際に調合してみる回数が少なくてすむという。その結果、開発期間を短縮することができるのだ。
そこでライオンでは、熟達者フレーバリストの思考AIを構築した。構成要素は以下の3つで、これらをひも付けることで、目的をインプットするとレシピ(材料の配分)が出力される。このAIシステムにより、数カ月かかっていた香料の骨子開発を大幅に短縮できる見込みだという。
- ブレインモデル:熟達者の思考や判断を「言語ネットワーク化」したもので、AIにおける教師データの役割
- 材料特徴データベース:保有する全原料の特徴情報をデータ化
- 処方データベース:過去に開発実績のあるハミガキ向け香料の処方情報をシステムへ格納
10年かけて習得する熟達フレーバリストのノウハウが、AIによって仕事を奪われてしまう……との懸念がよぎるかもしれない。しかし、AIがレシピを提示するのはあくまで香料の骨子の部分で、その先に「好ましいフレーバー」を作り上げる工程が待っている。そこが、フレーバリストが本来やるべき仕事だ。AIは、「試してみるまでもない調合」を除いた「この範囲で探してみるといい」を教えてくれる。このため、最適解にたどり着くまでの時間が短縮できるのである。
また、会社にとっては、熟達フレーバリストの知見という財産が、そのフレーバリストが引退したことで失われるとしたら、大きな損失だ。そこで、先人の知恵をAIに保存して再利用しているという言い方もできる。
AIツールの導入・浸透のために取り組むべき施策とは
ライオンでは、歯ブラシとハミガキの2事例以外にも、AI活用による自動化などが進んでいる。黒川氏が、このようなAIツール導入に向けて重要だと考えているのが、以下の4つの取り組みだ。
- 社内セミナー(出前の講習をたくさんやる)
- ハンズオン講習(手を動かして覚えてもらう)
- 個別での課題抽出(マンツーマンで相談に乗る)
- オンラインツール活用(時間や場所を問わずスキルアップを目指せる)
最後に黒川氏は、当初DX推進部に寄せられた社内からの質問に回答する形で、セッション内容をまとめた。
AIで何かやれないか?
課題発見能力を高める必要があるが、経験・ノウハウが必要な開発の現場では、これまでの経験やノウハウをAI活用して、業務効率化ができる。それが実感できると、新価値の開発にも取り組む機運が生まれる。
AI企業に業務委託するほうが良いでしょ?
一長一短で、どちらともいえないが、AI活用のフェーズで外部パートナーと一緒に進める、社内で進める、を選択できることが望ましい。AI活用の初期段階、たとえばツール選定や人材育成の部分では、外部パートナーの知見も得ながら進めていくと滞りなく進むことが多い。導入がひと段落し、業務の中で精度向上を目指す段階では、社内で進める方が効率的なことが多い。どちらでやるべきかしっかり切り分けることが重要。
AI普及すると人間のやることはなくなるの?
そんなことはない。AIは課題解決の手段のひとつでしかないし、予測できて終わりではない。AIをどう使いこなすのか、それによって考え方や業務フローがどう変わるかが大きなポイント。
精度80%では……
「精度80%では……」業務として使えるものか否かは、判断が難しい。ある基準値と比較した場合に、それが有効な手なのかどうかが、初めて判断できるようになる。しかし、最終意思決定は、データサイエンティストが行うものではなく、開発現場担当者が行うもの。データサイエンティストは提案し、意志決定の支援を行う。黒川氏は、「精度はこうだが、最終意志決定はあなたということを繰り返し伝えていくことが重要だと感じている」と締めくくった。
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