AIが全人類の知性を超える「シンギュラリティ」(技術的特異点)は2045年?
〈解説〉エクスペリエンスの予測と提案のメカニズム(続き)
学習、思考、統合、分析ができるAIの誕生
第3世代のコンピュータ・AIの登場
〈レベル5〉予測と改善提案によるソーシャルレベルでの最適化、では「クルマ」「AI」「地図」「セキュリティ」の4つの要素はそれぞれにおいて重要ではありながら、特に重要度が高いのは「AI」である。「AI」がなければ、自動運転サービスの進化は〈レベル4〉スタンドアローンでの完全自動化のレベルで止まってしまうだろう。
このAIのテクノロジーは、コンピュータの発展史で考えると第3段階目に突入している。人間の脳のように思考する次世代のコンピュータについて、その開発を推進している有力プレイヤーの1社であるIBMでは「コグニティブ・コンピューティング」(Cognitive Computing)と命名している。「コグニティブ」とは「経験的知識に基づく」「認知の」という意味で、その名の通り、コンピュータ自らが学習し、思考し、そして瞬時に膨大な情報源から大量のデータを統合し、分析ができる革新的なシステムである。
コンピュータの発展史を振り返るとそれは次のようなものである。
- 第1世代 Tabulating System Era(作表機システム時代)
- 第2世代 Programmable System Era(プログラムシステム時代)
- 第3世代 Cognitive System Era(コグニティブシステム時代)
第1世代は19世紀後半のコンピュータ草創期から1950年代までのタビュレーター(作表機)の時代。日本ではパンチカードシステムと呼ばれていたもので、会計など作表を補助する目的で開発された。1890年の米国の国勢調査のデータ処理で初めて使用されたことが知られている。
第2世代は現在まで続くプログラム可能なシステムを搭載したコンピュータの時代である。第2世代の技術的ブレイクスルーは何と言ってもパーソナル化(小型化)であろう。PCもスマートフォンもコンピュータの世代でいうと第2世代だ。一方で第2世代は基本的には半世紀前に設計された仕様がベースになっているので、どんなに省エネ技術が進み、データ容量が増えたとしても、ものすごいスピードで拡大し続けている情報(ビッグデータ)の増加を超える速さでタスクを処理することはできない。
そして、いよいよ第3世代。「コグニティブ」なシステムの時代が到来している。AIが人間の脳のように自らで考え、学習する機能を身につけたのである。「コグニティブ・コンピュータ」は人間の脳のシナプスとその柔軟な構造を模倣し、感覚、知覚、行動、相互作用、認知など様々な情報源から大量のデータを統合し、分析をする。つまり、第2世代の「左脳型」コンピュータではなく、より人間の脳に近い「右脳型」コンピュータなのである。
「コグニティブ」に、経験を通して自ら能動的に学習する。学習する間に物事の間の相関性を見つけ出し、仮説を立てて行動し、フィードバックされた結果からさらに学び取る。置かれた環境下で経験的に知識を積み上げ、さらに課題に解答するにしたがって、自らの力でプログラミングを見直す能力を兼ね備えている。
実用化が進むIBMの「ワトソン」
そして、第3世代を代表するIBMのスーパーコンピュータが「ワトソン(Watson)」(2009年4月)である。「ワトソン」の名前の由来がIBMの初代社長トーマス・J・ワトソンであることを想起すれば、この「コグニティブ」なスーパーコンピュータの登場のインパクトとその可能性に対する期待の大きさを推し量ることができるだろう。
それだけではない。瞬時にさまざまな情報源からの大量のデータを統合、分析できる「ワトソン」は既にもう実社会で活躍を始めている。 特に医療分野での成果が目覚ましいという。最新の医療情報を学習し、患者のデータを読み取って、患者毎に最適な医療方針を医師に提案するのである。なかでも人間の死因のナンバー1である癌の研究で応用されており、すでに世界の癌の医療データの8割を「ワトソン」が処理していると言われている。
IBMは「ワトソン」による、ビッグデータの理解、論理的な推論、学習のプロセスを戦略的に活用して、医療だけではなく、金融、マーケティング、教育など幅広い分野で付加価値の高い予測・提案型のコンサルティングを行って行くことを宣言している。
また「ワトソン」は人間と自然言語で話し、人間からも直接学ぶことができる。お客さまから自然言語で問われた質問を理解して、文脈を含めて質問の趣旨を理解し、大量の情報のなかから最適な回答を探し出して、伝達する技術は、問い合わせに素早く的確に回答することを要求されるオンラインのヘルプデスク、コールセンターでのサービスなどに役立てることができる。実際にIBMでは2013年5月から「ワトソン」を使って企業のお客さま対応をサポートする事業をスタートさせ、ロイヤル・バンク・オブ・カナダやニールセンなど複数の企業が試験的に導入を開始した。
さらに2015年3月には、IBMは「ワトソン」の本格的な事業化に向けた基盤を強化するため、ディープラーニング(深層学習)を活用し、データ収集とリアルタイムデータ分析ソフトウエア開発を行うベンチャー企業Alchemy API社(米国コロラド州デンバー)の買収を発表した。テキストデータや画像データのような非構造化データから概念や対象物を自動抽出する能力を一段と高めるだけではない。Alchemy API社は「ワトソン」をすでに活用してツール開発を手がけるデベロッパー約4万人を抱えており、IBMはこの買収によって大規模なユーザーベースを獲得することになった。
日本でも金融機関や生命保険・損害保険の企業を中心に「ワトソン」の導入が試験的に進みつつある。みずほ銀行でのコールセンターにおけるお客さま対応や三菱東京UFJ銀行でのLINEのアプリを使った問い合わせサービス、さらには損保ジャパン日本興亜のコールセンターにおけるオペレーター支援、かんぽ生命保険での保険金支払い査定などが先進事例として知られている。また、2016年2月には日本IBMとソフトバンクから「ワトソン」日本語版の提供が発表された。お客さまの接客やお客さま情報のアナリティクスなどで今後導入が進むことが予測される。たとえば、ソフトバンクのヒト型ロボット「ペッパー」とワトソン日本語版を繋げば、お客さまの顔認証や用件の聞き取り、担当部署への案内といった受付業務をこなすことは理論的には十分可能である。当面は来客したお客さまの子供の遊び相手という位置づけに過ぎないだろうが、5年、10年という中長期のタイムスパンで考えれば、学習効果によってかなりの精度で企業側の人間の期待に応えることが可能になるに違いない。
グーグルのAIへの取り組みと「シンギュラリティ」(技術的特異点)
AIの開発については、グーグルやアップルの動向も見逃せない。
グーグルは2013年12月から2014年1月までにロボットの関連企業7社を次々に傘下におさめた。買い物リストの中には東京大学発のベンチャー企業「SCHAFT(シャフト)」も含まれる。世界的に最も話題になった買収劇は、英国のAI開発企業・ディープマインド社を対象としたものであり、その買収額は何と5億ドル(約600億円)超である(2014年1月)。グーグルが開発したAIの「DQN」(Deep Q-Networkの略称)は、そのディープマインド社が開発したもので、人間の脳の神経回路を真似て作られた「自ら学習する」コンピュータである。プログラミングのような形で人間の手を借りることなく、コンピュータ自身が学習することで、自律的に機能を成長させていくことが可能になっている。
AI研究の第一人者で、現在はグーグルのエンジニア部門で働いているレイ・カーツワイルは2014年2月の『ウォールストリート・ジャーナル』のインタビューで「5年~8年以内に人間に近い検索エンジンが登場し、長くて複雑な質問に返答し、検索しようとする資料の意味を理解し、さらに人々に役立つだろうと自らが考える情報を探し出すようになる。2029年までには検索エンジンが人間のような能力を持つようになる」という趣旨のことを述べている。
レイ・カーツワイルと言えば、『シンギュラリティ 人類が生命を超越するとき』(原題『THE SINGULARITY IS NEAR』、2007年に『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』というタイトルで出版 NHK出版 井上健 監訳、小野木明恵、野中香方子、福田実 共訳)の著者としても名高い。「シンギュラリティ」(Singularity)とは「技術的特異点」という意味の専門用語で「コンピュータが全人類の知性を超える未来のある時点」のことである。レイ・カーツワイルはその著書の中で、次のような未来予測を語っている。
- 2020年代:AIが人間並みの能力になる
- 2030年代:ナノ単位の大きさのロボット(ナノボット)で体内から多くの病気を治せるようになり、同じくナノボットで脳内からヴァーチャル環境に完全没入することが可能になる
- 2040年代:人間の脳の構造が研究し尽くされ、コンピュータは超高性能になる。その結果、脳内の情報をコンピュータにコピーできるようになる
コピーされた脳内情報とは、まさに人間の「知識」そのものである。したがって理論的には、人間もまたコンピュータと同じ超高速で考えられるようになるだろう(ネオヒューマンの誕生)。その恩恵で科学は爆発的に発展し、ヴァーチャル環境と同じことが現実でも可能になる。この一連の現象は人間自身が人間を進化させ、新しい「種」を生み出したのと同じである。この時点が本当の意味での「シンギュラリティ」(Singularity:技術的特異点)である。
コンピュータの進化のスピードは速い。AIが学習を重ねて、新しいAIを誕生させる、そして新しいAIがより短い学習期間でさらに新しいAIを世に送り出す……。レイ・カーツワイルは1965年にインテルの共同創始者であるゴードン・ムーアが発表した「ムーアの法則」(集積回路の複雑さは毎年2倍のペースで進む)から着想を得て「収穫加速の法則」という考え方を提唱し、予測通り加速度的にコンピュータの進化のスピードが早まると2045年頃には「シンギュラリティ」に到達するだろう、と予測している。
2015年4月に全米で公開されたハリウッド映画『トランセンデンス』(Transcendence:超越、という意味。ウォーリー・フィスター監督 ワーナー・ブラザーズ配給。日本公開は同年6月)は「シンギュラリティ」をテーマにした近未来SF映画で非常に興味深かった。ジョニー・デップ演じる主人公の科学者は「シンギュラリティ」到達を目標にPINN(ピン)と呼ばれるAIを開発しているという設定である。ところが、そんなある日、主人公の科学者は反テクノロジーを唱えるテロ組織の凶弾を受け、余命わずかとなってしまう。共同研究者でもある妻が科学者の知能をPINN(ピン)にアップロードすることに成功、AIとして蘇った科学者は軍事機密から金融、経済、さらには個人情報などをありとあらゆる情報を取り込んで驚異の進化を遂げて行く、という驚きの内容だ。
映画『トランセンデンス』はもちろんSFの世界の話だが、グーグルの構想はリアルな事業戦略を実現するための活動である。グーグルは自動運転サービスだけでなく、次世代情報端末(グーグルグラスなど)、ロボット、医療、省エネ住宅など、新規のサービスを「グーグルX」というプロジェクト名でローンチさせ、そこで従来にはなかった新しいエクスペリエンスの提供を行おうと画策中だ。そしてもちろん、それら新規のサービスの中核的なオペレーションを担うのは自社が開発したAIであることは疑いの余地はないだろう。
もうひとつの注目のIT企業・アップルの動向にも今後は目が離せない。アップルはAIの開発スピードを上げるために、大量の技術者の採用を行っている最中だ。また、2015年10月には、その数ヵ月前に「Siriはおもちゃ」と言い放った英国の人工知能開発企業・ボーカルQを、さらに2016年1月には人間の表情を分析して感情を読み取るAI技術を開発しているベンチャー企業・エモーシェントを相次いで買収している。
『IoT時代のエクスペリエンス・デザイン』
企業が立ち向かうべきもの
デジタルのテクノロジーの進化では泣く、お客さまの気持ちや行動の変化、つまりエクスペリエンスそのものの進化である。
企業はIoTに適応する前提として、マーケティングを企業主語の発想からお客さま主語の発想へと転換しなければならない。これは同時に、組織運営や企業文化の刷新を含む、大がかりな改革(企業の体質改善)を意味するのである。
エクスペリエンスは「場」から「時間」へ
生き残りのために、すべての企業はIoTで武装したハイテク企業へと業態を変革する必要に迫られる
もはやモノとモノの戦いではない
既存のサービス業はもちろんのこと、すべての製造業は新しい形のサービス業へと形を変える。
AIによるビッグデータ活用とアナリティクスにより、お客さまの近未来のエクスペリエンスの予測と改善提案が企業のサービスの根幹として提供され続けることになる。
いずれにしても変化の激しいマーケットでは市場の競争ルールをその手にしたものだけが生き残るのだ。
エクスペリエンスとエクスペリエンスの戦いになる
ソーシャルもやってます!