インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~

二重のコミッション構造と、増していくNTTグループの存在感[第2部 - 第11話]

1997年のgoo誕生や二重のコミッション構造、米DoubleClickの日本法人設立などを振り返ります。

インターネット広告創世記〜Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シ11話。前回の記事はこちらです。

杓谷

1996年、インターネット広告を専門に取り扱う「メディアレップ」、株式会社サイバー・コミュニケーションズ(以下CCI)とデジタル・アドバタイジング・コンソーシアム株式会社(以下DAC)が設立され、本格的にインターネット広告市場が誕生しましたね。

佐藤

僕は1996年10月に旭通信社からデジタルガレージに転職しました。デジタルガレージは、DAC陣営の主要メディア「Infoseek Japan」を運営していて、広告ビジネスを含む事業全般の責任者を務めることになりました。本格的に営業が始まったのは1997年に入ってからのことでした。

デジタルガレージに入社して

佐藤:デジタルガレージに入社すると、第6話で紹介した「富ヶ谷(とみがや)」のウェブサイト開発元のエコシス出身 ジョナサン・ハガン(以下ジョナ)という天才エンジニアが所属していました。彼は、インペリアル・カレッジ・ロンドンの物理学部を卒業し、バイリンガルでした。日本語は漫画で学んだと言っていました。

第6話の再掲:1996年12月27日の「富ヶ谷」
出典:Internet Archive Wayback machine

ジョナの働き方はユニークで、夕方に会社に来るのですが、みんなが定時に帰っていくと電気を落として音楽をガンガンかけて、モニターの光だけで夜中に仕事をしていました。翌日の朝、僕が出社すると、ジョナは漫画を敷き詰めたところに寝ていて、むくっと起きて「あれをやっといたよ」と言って帰っていくんです。働き方に衝撃を受けました。

下の画像は1997年9月号の『月刊サンワールド』のデジタルガレージ特集記事です。Infoseekはサン・マイクロシステムズの「Ultra Enterprise 3000」というサーバーを当時使っていて、その関係で受けた取材記事です。左の男性がジョナで、右下に写っているのが僕ですね。

1997年9月号の『月刊サンワールド』に掲載されたデジタルガレージの特集記事(佐藤さん所蔵)

アナログで煩雑だったバナー広告の出稿管理

佐藤:Infoseek Japanのバナー広告は、メディアレップのDACが広告主に販売してくれるので、Infoseek Japan側はバナー広告を発注通り事故なく配信できるように管理していくことが重要でした。第10話で話したとおり、

  • 広告主に保証した表示回数を達成できない
  • 期間内に広告が予定通り配信できない

などがあるとペナルティが発生するので、人の手によるチェックを何度もして入稿作業自体もマニュアルで行うなど、とてもアナログで煩雑な仕事でした。

その月の目標売上に届かないとわかると、バッジみたいな小さな四角いバナーの広告枠を3個ぐらい設置して、それを1週間20万円とか30万円で売ることもありました。僕の席の後ろのボードに、日付と「トップページ」「バッジ1」「バッジ2」「バッジ3」と書かれた表が置いてあって、どんな広告主が申し込みをしているかをアナログな方法で可視化していました。1週間前になっても広告の注文がない枠には「しょうがない、ディスカウントだ!」と言ってとにかく広告枠を埋めようとしていましたね。

こんなに管理がアナログで煩雑なので、

アメリカ本社のバナー広告の管理はどうやってるんだろう? きっとシステム化しているに違いない。教えてもらおう!

ということでアメリカのInfoseek本社に出張しました。広告の配信管理を担当していたバートさんにバナー広告の管理をどうやっているか訊ねたところ、おもむろに自分のデスクのキャビネットを開けて、そこに入っている広告のオーダーシートを取り出しました。日付ごとに「この広告は何日から始まりです」といったメモがびっしりと記入してあるだけで、日本とまったく同じアナログな管理方法だったので思わず口をあんぐり開けてしまいましたね(笑)。

二重のコミッション構造が生まれてしまった

佐藤:デジタルガレージへの入社前は、インターネットが普及した状態での広告のビジネスモデルは、自分が旭通信社で見てきたものとはまったく違う形態になるだろうと漠然と想像していました。第6話で少し触れましたが「インターネット上で行われるビジネスは、中間業者を排して民主化され、『利権の破壊』をもたらす」という伊藤穰一の言葉が頭の中で鳴り響いていたからです。

そこから色々と妄想していくと、「インターネット広告の世界は、これまでのように大手総合代理店が広告枠を買い切って、広告主に仲介するといった形ではなくなるだろう」と考えていました。

もっと自由で開かれた広告のビジネスモデルが、見えてくるんじゃないか」と強く期待をしてデジタルガレージに入社したんです。でも、いざ蓋を開けてみるとメディアレップの仕事はテレビや新聞、雑誌と同じように、Yahoo! JAPANやInfoseek Japanのバナー広告をあらかじめ買いきって、広告主に仲介するいわゆる伝統的な「コミッション制」のビジネスモデルでした。

杓谷:「コミッション制」とは、広告枠をあらかじめ仕入れて広告主に仲介する形式のビジネスモデルのことを指します。下の図が広告枠の買付けにおける広告業界の基本構造です。

広告枠の買い付けにおける広告業界の基本構造 
出典:インターネットマガジン1996年11月号―INTERNET magazine No.22をもとに筆者作成

杓谷:第1話で佐藤さんに解説いただきましたが、広告主が倒産したり、万が一の事態が発生したりした時に保障できるだけの経済基盤がある広告代理店に、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌などの主要マスメディアの広告枠の取引口座は限定されていたわけですね。第7話で登場した外資系大手広告代理店の日本支社や、第8話の加藤さんの日広のような新興広告代理店では直接買えない広告枠があったのをこの連載を通じて見てきました。

佐藤:加えて、大手総合代理店とメディアレップによる二重コミッション構造も生まれてしまいました。僕のようなメディアの立場から見ると、メディアレップのコミッション料(広告枠の仲介手数料)が15%、広告代理店のコミッション料が15%で合計30%が広告の販売価格から引き落とされてしまいます。また、広告主の立場からしても、総合代理店にコミッション料を支払い、その上でさらにメディアレップにもコミッション料を支払う必要が生じてしまったわけです。

杓谷:下の図の赤い枠を通るたびに、関所のようにそれぞれ15%ずつ仲介手数料が取られてしまうわけですね。

二重のコミッション構造
出典:インターネットマガジン1996年11月号―INTERNET magazine No.22をもとに筆者作成

佐藤:メディアレップからすると、広告枠を販売するための人件費などを捻出しなくてはいけません。仕方がないと言えば仕方がないことでしたが、デジタルガレージに入社する前に、思い描いていた理想と現実のギャップに愕然としてしまいました。

今振り返ると笑ってしまうのですが、Infoseek Japanの媒体説明をしに大手総合広告代理店に営業に行くのですが、前半は伊藤穰一がインターネット自体の説明をして「インターネットは『利権の破壊』をもたらす」と説明しています。

それが、後半でいざビジネスモデルの話になると二重のコミッション構造の説明をしていて、むしろ利権が強化されてしまっているんですね。前半と後半で話がまったく矛盾していましたね(笑)。

とはいえ、この時期のことを冷静に振り返ると、広告代理店にはネット広告がわかる人たちは少なく、メディアレップがなければ、媒体社はかなり大がかりな営業活動を個別に行わなければならなかったでしょう。また、「電通系」と「博報堂/旭通信社その他系」という集約された形で、インターネット広告専門の受け皿ができたことは、媒体社にとってもありがたくインターネット広告市場を開拓する上では欠かせない存在でした。

NTTグループの「goo」と米DoubleClickの日本法人設立

佐藤:この時期の重要な出来事として、NTTグループと米DoubleClick(ダブルクリック)の話にふれておきたいと思います。NTTは、米Inktomi(イントミ)の検索エンジンと、NTT研究所の日本語解析技術をミックスしたロボット型検索エンジンの開発をしていて、1997年3月に「goo」というポータルサイトをスタートしました。

サービス公開前にメディアに公開された「goo」のイメージ画像
出典:INTERNET Watch「NTTアドが日本語検索エンジンサービス「goo」を3月27日より開始」

1997年9月には米DoubleClickの日本法人としてダブルクリック株式会社(以下ダブルクリックジャパン)が設立されます。DoubleClickは、DEC(Digital Equipment Corporation)が開発していた「AltaVista(アルタビスタ)」というアメリカの検索エンジン兼ポータルサイトの広告出稿を管理するツールとしてスタートしました。

そのツールの使い勝手がとても良かったので、ツールだけを切り出して「AltaVista」以外のポータルサイトにも提供し、アメリカで広く使われるようになりました。後の2007年4月にGoogleがこのDoubleClickを買収することになります。DoubleClickが保有していた技術などについては、この連載の中で後ほど紹介したいと思います。

加藤

ダブルクリックジャパンの筆頭株主はトランスコスモスでしたが、NTTグループも資本参加をしていました。そのため、ダブルクリックジャパンはgooの広告枠を販売するメディアレップとしての役割もあったんです。

加藤:CCI、DACからもgooの広告枠は買えたのですが、彼らにはYahoo! JAPANやInfoseek Japanなど優先的に販売したいメディアがあったので、より積極的にgooの広告枠を販売するためにメディアレップを作る必要があったのだと思います。

ダブルクリックジャパンの営業が本格的に始まった頃、第9話で紹介した日本で最初にインターネット広告が関わったサービス「ハイパーネット」が1997年12月2日に破産申請をしました。僕はハイパーネットが広告の販売を始めた頃から広告枠の買い付けを通して、副社長の夏野剛さんと面識がありました。

破綻のニュースを聞いたとき、「夏野さんはどうしたんだろう?」と思っていたら風の噂で「NTTドコモにいるみたい」という話を耳にしました。実はその頃、夏野さんは、ドコモで「iモード」の準備を進めていたんです。この事実を知ったのは1999年になってからのこと。当初、転職の目的は極秘のまま動いていらっしゃったと記憶しています。

杓谷:テレビやラジオなど、公共の電波を使った「放送」の枠組みから「通信」の世界に情報の流通チャネルが広がったことで、NTTグループの存在感が広告業界においてもじわじわと増してきましたね。次回の連載から毎週公開していきます。

次回は2/13(木)公開予定(隔週木曜日更新)です。

◇◇◇

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