世界最大の広告会社WPPグループ総帥マーティン・ソレル卿との出会い[第3部 - 第29話]
「インターネット広告創世記〜Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シリーズ第29話。前回の記事はこちらです。

前回のお話では、Google創業者のスタンフォード大学時代のクラスメイトだったMax Erdsteinさんが始めた広告の「運用」についてお話を伺いました。また、中小企業向けの新しい広告代理店の登場の一例として、株式会社キーワードマーケティング創業者の滝井秀典さんに当時の様子を伺いました。検索連動型広告の登場によって、インターネット広告市場全体が大きく成長していく様子が窺えますね。

大手企業向けには、Googleの「AdWords」やOvertureの「スポンサードサーチ」にいち早く取り組んだインターネット専業広告代理店と、大手総合広告代理店との業務資本提携が進みました。
インターネット専業広告代理店と大手総合広告代理店の業務資本提携
佐藤: 検索連動型広告の市場規模が大きくなっていったことで、運用をしっかりとできるインターネット専業広告代理店の価値が大きく高まっていきました。AdWordsを積極的に販売してくれていたアイレップ、アウンコンサルティングが上場を果たし、電通グループはオプトと、博報堂グループはアイレップと業務資本提携を行っていくことになります。
- サイバーエージェント: 独立路線を維持(2000年上場)
- オプト: 2005年に電通グループと業務資本提携(2004年上場)※1
- セプテーニ: 独立路線を維持(2001年上場)
- 日広: 未上場を維持。WPPグループのオグルヴィ・アンド・メイザーと業務提携。合弁会社を設立(2006年)
- アイレップ: 2006年上場。博報堂DYメディアパートナーズと業務資本提携(2006年)※2
- アウンコンサルティング: 2006年上場
※2:博報堂DYメディアパートナーズ、ニュースリリース「博報堂DTメディアパートナーズとアイレップ SEM領域で業務・資本提携」
検索連動型広告市場の爆発的な成長は、インターネット広告市場全体の拡大を示す証左とも言えるでしょう。もはや大手総合広告代理店にとっても無視できない規模となったのです。そしてこの動きは、Overtureの「推奨認定代理店協会」(第23話参照)で会長を務めていた加藤さん率いる日広にも、大きな影響を与えることになります。

第23話で紹介したOvertureの「推奨認定代理店協会」の取り組みに一番ビビッドに反応してくれたのは、アメリカの西海岸とニューヨークだったんです。
インセンティブツアーで訪問したアメリカ
加藤: 当時の日広は、「エキサイト」や「MSN」などの広告を多く取り扱っていて、販売成績の良かった広告代理店だけが招待されるインセンティブツアーに毎年参加させてもらっていました。行き先は、Overtureの本社があるアメリカ西海岸です。
また、第23話で紹介したOvertureの「推奨認定代理店協会」として、Overture主催のインセンティブツアーにも招待されました。イベントは4日間にわたって行われましたが、Overtureのオフィスを訪れたのは2日ほど。残りはナパバレーでワインを飲んでいただけのような気もします(笑)。

「広告の神様」が作ったアメリカの広告代理店オグルヴィからの突然の連絡
加藤: 2005年の夏、僕は思いがけず、アメリカに拠点を置く広告代理店「オグルヴィ」の日本法人代表だった山本恵三さんにお会いすることになりました。
きっかけは、同年4月に掲載された『宣伝会議』のインタビュー記事を読んで、僕のことを知ってくださったようです。Overtureの推奨認定代理店協会で会長を務めていたこともあり、興味を持って頂いたのだと思います。
オグルヴィの正式名称は「オグルヴィ&メイザー」。創業者のデイヴィッド・オグルヴィは「広告の神様」とも呼ばれています。
たとえば、次のような有名なコピーを作った会社としても知られています。
ロールス・ロイス: At 60 miles an hour the loudest noise in this new Rolls-Royce comes from the electric clock.
時速60マイルで走るこの新しいロールス・ロイスの中で、最も大きな音を立てるのは電気時計ですユニリーバの石鹸「Dove」: Only Dove is one-quarter moisturizing cream.
ダヴだけが4分の1が保湿クリームでできています
当時、オグルヴィはすでにWPPの傘下に入っており、マイルズ・ヤング(Miles Young)がグローバルのトップを務めていたと記憶しています。

出典:Opdracht Haagse Post Bijeenkomst Amstelhotel, David Ogilvy (kop), Amerikaans rec, Bestanddeelnr 922-5100.jpg is under CC0 1.0 Universal
加藤: オグルヴィから聞かされたのは「デジタル部門を立ち上げたい」という構想だったのですが、詳しく話を聞いてみると、実際には「オペレーションデスク」のことだったんです。
杓谷: ここで言う「オペレーションデスク」というのは、Googleの「AdWords」やOvertureの「スポンサードサーチ」など、検索連動型広告を運用するためのチームのことですね。
加藤: そうです。当時、日本には「オグルヴィ・ワン・ジャパン」というダイレクトマーケティング部門がありましたが、2005年の時点では、検索連動型広告のキーワード設計や広告文の作成、入札の管理・運用まで対応できる人材は社内にいませんでした。
WPPグループ全体で見ても、日本にはグループエムやマインドシェア、ワンダーマンといった傘下の会社がすでにありましたが、検索連動型広告を専門的に運用できる体制は、まだ日本には整っていなかったのです。
「ニューヨークに行きませんか?」という一言でアメリカへ
加藤: そんな中、オグルヴィ・ジャパンの代表から突然連絡があり、「アメリカによく行ってるそうですね。今度ニューヨークに行ってみませんか?」とお誘いを受けたんです。で、あまり深く考えずに「じゃあ、行ってみますか」と、気軽にニューヨークへ行ってみることにしました。
2006年4月 ネオ・アット・オグルヴィ株式会社を設立
加藤: 最終的に、日広はオグルヴィと合弁で「ネオ・アット・オグルヴィ株式会社」を2006年4月に設立しました。資本比率はオグルヴィが51%、日広が49%。ただし、当時オグルヴィ側には検索連動型広告を運用できる人材がいなかったため、立ち上げ時の社員はすべて日広から出すことになったんです。
その後、各広告代理店がオペレーションデスク専門の子会社や部門を次々と立ち上げましたが、検索連動型広告の運用に特化した専業体制を構築したという意味では、ネオ・アット・オグルヴィはまさにその先駆けだったと思います。
下の画像は、2006年の秋に発行されたオグルヴィの会社案内で、ネオ・アット・オグルヴィのアジア太平洋地域の責任者と対談している僕の記事です。

WPPグループ総帥マーティン・ソレル卿との出会い
加藤: ネオ・アット・オグルヴィを設立する4カ月ほど前、2005年11月頃だったと思います。すでに合弁会社設立のMOU(Memorandum of Understanding:覚書)は交わしていたのですが、WPPグループの全社幹部が集まるアメリカでのミーティングで、「加藤を紹介したい」と打診されました。日本のオペレーションデスクのビジネスパートナーとして、ぜひ出席してほしいということでした。
当時のマーティン・ソレル卿は、まさにアドマンとして絶頂期。有名なクリエイティブエージェンシーを次々と買収していて、僕にとっては『宣伝会議』の雑誌で見かける“遠い存在”でした。
なので、「えっ、あのマーティン・ソレルに会うの?」と驚くしかなくて(笑)。しかも、電通やCCIの方々からも「(俺たちを差し置いて)なんでお前が会えるんだよ!」とびっくりされました(笑)。

出典:Martin Sorrell - World Economic Forum Annual Meeting Davos 2010 crop.jpg is under CC BY-SA 2.0
本社での初対面――「Nice to meet you」だけはちゃんと言おう
加藤: ミーティングは、ニューヨーク・タイムズスクエア近くにあるオグルヴィの本社で行われました。そこに現れたのが、マーティン・ソレル卿(英国で騎士の称号を得ているので”Sir.” Martin Sorrellと呼ばれている)です。実際にお会いしてみると、小柄な方だったのでびっくりしました。
オグルヴィの幹部が、「彼は日本のエージェンシーユニオン(Overtureの「推奨認定代理店協会」のこと)のリーダーで、ルールメーカーだ」という紹介をしてくれたのですが、僕は緊張しすぎて、「Nice to meet you」だけはちゃんと言おうと思っていました。実際、冷や汗が出ながら握手したことしか覚えてないです(苦笑)。
英語の壁、そして“白人社会”の現実
加藤: 会議にも出席したのですが、あまりの英語のわからなさに自分でもびっくりしました(笑)。僕の英語力では、コミュニケーションが取れないので、向こうが通訳をつけてくれました。
今でこそ人種の垣根はありませんが、当時のWPPは完全に“白人中心社会”。アジア人がほとんどいない中での参加は、かなりのプレッシャーでした。
杓谷: ほんの10年前には、成年誌専門の広告代理店で大手出版社から冷遇されていた加藤さんと日広(第8話参照)が、「広告の神様」と「広告界の帝王」に見出されることになるわけですから、人生とは本当に不思議ですね。
マーティン・ソレルは39歳でWPPを創業し、80歳になる今でも「S4 Capital」というデジタルを中心とした広告代理店の経営をしていて、広告業界の最前線に立ち続けています。
WPPは元々は水道管工事の会社だった
加藤: 2005年当時、WPPは世界最大の広告代理店でした。でも、その出発点はまったく違う業種で、「Wire & Plastic Products」という名前の水道管工事会社だったんです。それを、マーティン・ソレル卿が買収し、ほぼ一代で世界最大の広告代理店グループに育て上げたんですよ。
たとえば、日本では「暮らし安心クラシアン」というテレビCMが有名ですよね。体操の金メダリスト・森末慎二さんが出演していたあのCMです。水道管のトラブルは頻繁には起きませんが、いざというときに一番に思い出してもらえるブランド、いわゆる「第1想起ブランド」になることが大切です。
この「必要なときに思い出してもらうこと」の重要性に気づいたのが、ソレル卿の出発点だったんです。彼のマーケティング思想は、WPPの前身が水道管工事会社だったという原体験に根ざしている。そしてそれは後に、「First Moment of Truth(最初の意思決定の瞬間)」という理論に発展していきました。P&Gをはじめとする多くの消費財メーカーがこの考え方を今も大事にしているのは、こうした背景があるからです。
オグルヴィが日広に提携を持ちかけた理由
加藤: オグルヴィが僕たち日広と提携を持ちかけた理由のひとつに、「日広が日本の大手消費者金融をクライアントに持っていなかったこと」があります。
1996年から2005年まで、日本で広告宣伝費を多く使っていたのは消費者金融業界でした。武富士、プロミス、アコム、アイフル。この4社だけで、当時のテレビCMスポットの出稿量のうち、ざっくり15%は占めていたと思います。もちろん、インターネット広告においても超重要なクライアントでした。
ですが、当時の日広はいずれも顧客ではなかったんです。
“1業種1社制”という欧米流の広告原則
加藤: 欧米の広告業界には「1業種1社制」という考え方があります。守秘義務や利益誘導防止の観点から1社が同じ業種の広告主を複数抱えないようにしていて、WPPグループは当時この考え方を堅持することで、自らのグループ経営の正当性を保っていました。
オグルヴィが日本でインターネット広告代理店との提携先を探す中で、「消費者金融をクライアントに持っていない日広」は、非常に魅力的に映ったんだと思います。
実際、WPPにとってはアメリカン・エキスプレス(当時、貸金業も展開)が超重要顧客でした。その日本法人のマーケティングを僕に任せたい、という意向もあったんです。
上品な広告の世界に足を踏み入れることに
加藤: 当時、デイヴィッド・オグルヴィについてもかなり勉強しました。でも僕はもともと成年誌の広告出身だったので、正直、彼のような上品なクリエイティブの世界とは無縁だと思っていました。
だから、自分のような“変わった経歴”の人間が、「広告の神様」と呼ばれるオグルヴィが作った会社とジョイントベンチャーを組むことになるなんて、本当におもしろかったですね。
次回は6/26(木)公開予定(毎週木曜日更新)です。
※この連載では、記事に登場する出来事を補強する情報の提供を募っています。フォームはこちら。この記事に触発されて「そういえばこんな出来事があったよ」「このテーマにも触れるといいよ」などご意見ご要望ございましたらコメントをいただけますと幸いです。なお、すべてのコメントに返信できるわけではないことと、記事への反映を確約するものではないことをあらかじめご理解いただけますと幸いです。
ソーシャルもやってます!