インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~

深夜0時にランチに誘う!? とにかく忙しかったメディアレップの仕事[第2部 - 第10話]

CCI、DAC設立当初のメディアレップの仕事内容を振り返ります。

インターネット広告創世記〜Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シリーズ第10話。前回の記事はこちらです。

杓谷

1996年6月に株式会社サイバー・コミュニケーションズ(以下CCI)、12月にデジタル・アドバタイジング・コンソーシアム株式会社(以下DAC)が設立され、インターネット広告市場が本格的に誕生しました。佐藤さんは、DAC陣営の中核メディアInfoseek Japanのビジネスを統括する立場として、インターネット広告市場の誕生に立ち会いました。

佐藤

メディアレップの仕事内容についてはイメージがつきにくいと思うので、初期のCCIに在籍していた角明洋くんに解説してもらおうと思います。角くんは、2007年にCCIからGoogleに転職し、僕のチームで初期のYouTubeの広告営業にも携わってもらいました。

はじめまして、角と申します。1999年の6月に株式会社サイバー・コミュニケーションズに入社しました。当時のCCIは設立して3年が経った頃だったのですが、僕の社員番号は15番でした。電通とソフトバンクからそれぞれ出向していた方もいましたので、派遣社員の方も含めると合計で30番目くらいだったと思います。

メディアレップは「メディアの代理人」

角:CCIに転職する前に新卒で在籍していた商社では、僕はCAD営業部に所属していました。パソコンで図面を設計するCAD(Computer Aided Designの略)というソフトウェアと、その操作法をコンサルティングする営業をやってました。多分名前が角(かど)だったからCAD(キャド)営業部に配属されたんだと思います(笑)。

ある夜、見積もりをWindows 3.1のDOS(Disk Operating Systemの略。MicrosoftのディスクOS)でやっていたのですが、たまたまYahoo! JAPANのバナー広告を見つけて「これは絶対伸びる! これだ!」と思い、Yahoo! JAPANとCCIとDACに履歴書を送ったんです。検討した結果、CCIならYahoo! JAPANだけではなく、他メディアに関する知識や経験も得られると思ってCCIへの転職を決めました。

僕がCADの営業部で担当していたのは主に建設業界のお客様だったのですが、そちらはちょうど景気が悪くなっていた頃だったので、余計にインターネット業界の未来が輝いて見えましたね。実際、入社当時のCCIの売り上げ規模は月間3億円ぐらいだったと思うのですが、すぐに5億、6億、7億、8億円と急成長していきました。上場前だったということもあって、その都度全社員に5万、6万、7万、8万円と毎月売上目標達成のボーナスが支給されました。「何てバブルなんだ!」と思いました。ちなみに当時は振り込みではなく、封筒での現金支給で、その夜は飲みに行っていたと思います(笑)。

メディアレップは英語で「Media representative(メディア リプレゼンタティブ)」。日本語で言うと「メディアの代理人」です。この場合のメディアは、Yahoo! JAPANやInfoseek Japanなどのウェブサイトのことを指します。

この頃、大手総合代理店でインターネットに詳しい人はほとんどいませんでした。また、今でこそメディア側も広告営業の専任部署を持つようになりましたが、当時は売上規模も小さく、難しかったんですね。メディア側からしてみれば、その販売を代行してくれるメディアレップの存在意義は大きかったと思います。

トップページの「バナー広告」がメディアレップの主力商品に

佐藤:Yahoo! JAPAN、Infoseek Japanともに、最も多くトラフィックが集まるページがトップページだったので、トップページに設置された「バナー広告」がメディアレップの主力商品となりました。

左:1997年1月に表示された「Yahoo! JAPAN」のバナー広告 出典:Internet Archive
右:1997年4月に表示された「Infoseek Japan」のバナー広告 出典:Internet Archive

佐藤:実は、本家の米国のYahoo!にはYahoo! JAPANのようなトップページのバナー広告はなかったんです。全体のページビューの10%以上がトップページだったことから、雑誌の表4(雑誌の表紙の反対面のことで、裏表紙にあたる)的な発想で、日本独自に生まれた手法でした。後から米国のYahoo!に逆輸入されたようです。

バナー広告は、広告枠によって1週間、1カ月といったように掲載期間が決められていて、広告が表示される回数を20万回、30万回と保証して販売していました。このように、掲載期間と表示回数を保証して販売する広告のことを「インプレッション保証型広告」と呼びます。「インプレッション」は広告用語で「表示回数」のことですね。万が一、広告が約束された表示回数に達しなかったら、その3倍の表示回数を無償で与えるというのが業界の慣習でした。

角:今のYahoo! JAPANのトップページのバナー広告は「ブランドパネル」、通称「ブラパネ」という名称ですが、当初は「パイロットシート」という名称でした。1996年11月号の『iNTERNET magazine』によると、販売当初の価格は月額120万円、1週間10万円のメニューもあり、20万ページビューの表示回数保証の商品だったようです。

僕がCCIに入社した1999年にはページビュー数も増えていたので、パイロットシートは1週間300万円で複数枠のローテーション商品(複数の広告を同じ枠内で交互に表示すること)になっていました。ブランドパネルの現在の価格が1,000万円単位であることに比べるとまだまだ価格は低いですが(下記リンクを参照)、当時は最も価格が高い広告商品のひとつで、売れ筋のメニューでした。

参考:現代のブランドパネルの価格帯

角:この他には「ビジネスと経済」「コンピュータとインターネット」などのカテゴリページの上部にバナー広告を表示する「フィックスドカテゴリページ」(Fixed Category Page)があり、ページビューの少ないカテゴリーでは1週間12万円~とかなり安価な商品でした。

加えて、検索結果の上部にバナー広告が表示される「サーチワード広告」という人気商品もありました。広告主は「自動車保険」「引っ越し」といったキーワードを指定して広告を掲載することができます。こちらは1万ページビュー以下のキーワードを3つ組み合わせて月12万円か、1万ページビュー以上のキーワードひとつで月12万円~、という価格設定でした。1万ページビュー以上で検索の多かった「結婚」という語句は、ブライダル業界の広告主の取り合いなど、かなり大変だった思い出があります。

佐藤:Yahoo! JAPANとInfoseek Japanのページビューはこの時点ですでに大きな差がつけられていました。朝会社に行くと、すぐにページビューがどうなっているのかをチェックして、ほっとしたりがっかりしたりしていましたね。最初の年にデジタルガレージの同僚に送った年賀状で「目指せ、50万ページビュー」(1日あたり)と言っていたことを覚えています。

ウェブサイトの広告枠を管理する「メディア部」の仕事

角:CCIもDACも同じだったと思うのですが、当時のメディアレップには「メディア部」と「営業部」の2つの部署がありました。「メディア部」は、Yahoo! JAPANをはじめとするさまざまなウェブサイトの広告枠を束ねて管理します。「営業部」は広告代理店向けに広告商品を販売します。下の図の中で僕は右から二番目の「メディアレップ」に所属しているわけですが、右側を向いているのがメディア部で、左側を向いているのが営業部という関係性になります。

メディアレップの役割 出典:インターネットマガジン1996年11月号―INTERNET magazine No.22をもとに筆者作成

角:僕が最初に配属されたのはメディア部で、当時在籍していたのはわずか5名でした。Yahoo! JAPANをはじめとするメディアの担当者と折衝して広告枠を作ったり、広告枠を作る場所やサイズを提案したり……。複数の広告枠のパッケージを作って、営業部が売りやすいようにするのが主な仕事でした。Yahoo! JAPANの1号社員の有馬誠さんを含めて毎週定例会を開き、売り上げや引き合いの状況の共有、キャンペーンの企画などを行っていました。売り上げ状況が思わしくない時には、有馬さんから強い叱咤激励をいただいたことも、今となっては懐かしい思い出です。

僕はYahoo! JAPANの他に、検索ポータル系では東芝の「フレッシュアイ」(FreshEYE:24年4月30日終了)や「NTTナビスペース」、新聞媒体では日経新聞や毎日新聞、スポーツ新聞系などを担当していました。雑誌媒体ではスターツ出版社やアシェット婦人画報なども取り扱いましたね。今思うと多岐に渡っていますが、CCIに広告を営業してほしいと問い合わせをしてくるメディアもたくさんいたので、新規の対応も必要でした。本当に大変な毎日でしたが、幅広いメディアの方と一緒に仕事ができたことは大きな財産になりましたね。実際、このときの出会いがきっかけとなり、後に同僚となる方とつながることもできました。

杓谷:博報堂グループはCCIと同様にDACを設立しましたが、博報堂グループがCCIに広告を発注してくることもあったんですか?

角:ありました。なぜなら、当初はCCI経由でしかYahoo! JAPANの広告枠を購入できなかったからです。

佐藤:同様に、Infoseek Japanの広告枠もDACからしか買えませんでした。

広告販売に深夜まで奮闘した「営業部」の仕事

角:翌年の2000年には「営業のほうが向いているんじゃないか」と言われ、メディア部から営業部に異動しました。メディア部に所属していた時、営業部と一緒に広告代理店とのミーティングに同席し、広告枠の企画を提案することもあったんですが、営業部の人より自分のほうが売り込んじゃうんですね(笑)。「これ、今やっといたほうがいいんじゃないですか」と、データに基づいてプッシュすることがよくありました。

営業部には電通グループ担当、博報堂グループ担当がいて、インターネット広告専業代理店を含むその他の広告代理店30社ぐらいを僕は担当していました。その30社の中には、サイバーエージェント、オプト、セプテーニ、アスパイア(2000年にアイレップと改名)など、名だたる大手インターネット専業代理店が含まれています。加藤さんがいらっしゃった日広も後に担当することになりました。

一方で、看板広告の老舗広告代理店などもその30社に含まれていました。ある日、そのうちの1社から「インターネット広告を初めて受注したから発注したい」と連絡がありました。当時のバナーのサイズは60×468ピクセルが主流だったんですが、電話越しにそう伝えると、「今画面で見てるけどそれって何センチ? ピクセルとかいいから何センチ×何センチで作ればいいのか教えてよ」と聞かれてしまいました。ピクセルはモニターのインチや画素数にもよるので、メートルとマイルの関係みたいにきれいに変換できる単位ではありません。看板広告が主力商品の広告代理店ですから、センチで聞きたくなるのは当然かもしれませんが……。

ちなみに、当時60×468ピクセルの画像ファイルの容量の上限は12キロバイトでした。すぐに容量オーバーしてしまいますよね。また、縦と横が逆のバナーもよく入稿されていて、どう見ても広告枠に収まらない縦長のバナーを差し戻すこともありました。

杓谷:現在Google広告に入稿できるディスプレイ広告用の画像ファイルの容量は最大150キロバイトなので、10分の1以下ですね。当時のインターネットは電話回線で接続していたので、大きな画像は読み込みに時間がかかってしまい、使えなかったんですね。

角:正直、当時はまったく手が足りなかったですね。月末に請求書を発行して送ったり、メディアに広告の発注をしたりと、とにかく忙しかったです。インターネット専業系の広告代理店からは、メール以上にチャットで連絡が来ていました。当時はMSNメッセンジャー(Microsoftのインスタントメッセージサービス)が主流で、夜中の2時半ぐらいに「明日の朝一提案なんだけど」と言われて、内心「無理、無理!」って思いました(笑)。でも、その広告代理店の担当者も、もう手一杯なんです。慌てて連絡してきたのはわかるのですが、「みんな寝ていてどこにも確認できないよ……」というカオスな状況でした。ただ、うちとしても何とか提案してほしいので、持ちうる情報を集めて見積もりを出しました。

当時は深夜までオフィスの電気が点いていて、ほぼ全員が終電まで仕事をするという時代でした。時にはカーテンの閉まるオフィスで昼と夜の感覚が麻痺してしまい、深夜0時に後輩をランチに行こうと誘ったこともあった気がします(笑)。

結果的にそうしたインターネット専業代理店の後押しもあって、僕は電通グループ、博報堂グループに匹敵し、個人では社内トップの売上になっていました。

日曜の夜0時に広告掲載を手動で確認

角:広告の受注もかなりアナログな管理体制でした。広告代理店からの発注メールのタイムスタンプが一番早い人が買付できるというルールで、0.01秒単位で競り合っていました。発注側の広告代理店も受注側のCCIも、〆切の時間にはパソコンの前で待ち構えていましたね。

また、掲載確認もしなくてはいけません。Yahoo! JAPANのトップページのパイロットシートは月曜の0時スタートでした。掲載確認を自動で行うシステムなどなかったので、月曜の夜0時にショートカットキーのF5(ウェブサイトの再読み込み)を押しながら、自分のクライアントの広告が出るか待つんです。広告が表示されたらキーボードのプリントスクリーンボタンを押してキャプチャを撮ります。広告が出なかったらすぐにYahoo! JAPANの担当者に連絡します。毎週日曜から月曜にかけて、夜中の0時半頃に必ず確認していましたね。こうした受注、掲載確認などがシステム化されるのは、2000年に入って数年経ってからだったと思います。

日本独自だったメディアレップの存在

杓谷:インターネット広告におけるメディアレップの存在は、日本独自のものだったんでしょうか?

角:独自だったと思います。少し時代が先の話になってしまいますが、メディアレップの存在を理解してもらう上で一番苦労したのが、2007年にGoogleに入ってYouTubeの広告営業を担当した時ですね。Googleの米国本社の上長に対し、「CCIやDACなどのメディアレップになぜこれほどのマージンを払う必要があるのか」を説明するプレゼンを数え切れないくらいしました。その場では納得してもらえるのですが、また「なんで?」ってメールが来るんです(苦笑)。

「今のYouTubeの営業体制(販売開始時の専属営業担当は僕を含めてわずか2名)では、広告主や広告代理店からの問い合わせに対応できる人数が足りない。メディアレップにマージンを払えば、営業を任せられるし、なおかつ広告代理店に売ってくれる。これで売上が上がるなら、コストって安いものじゃない? それを広告費の手数料って思うから高いんであって、人件費だと思えば効率的だよね?」と言うと、「確かにそうだな、わかったよ」って返ってくるんですが、また翌週には「Hi, Kado、このメディアレップのマージンは何?」ってメールが来るんです。もうコントみたいになってました(笑)。

次回は2/6(木)公開予定(隔週木曜日更新)です。

◇◇◇

※この連載では、記事に登場する出来事を補強する情報の提供を募っています。フォームはこちら。この記事に触発されて「そういえばこんな出来事があったよ」「このテーマにも触れるといいよ」などご意見ご要望ございましたらコメントをいただけますと幸いです。なお、すべてのコメントに返信できるわけではないことと、記事への反映を確約するものではないことをあらかじめご理解いただけますと幸いです。

用語集
Google広告 / LINE / インプレッション / キャンペーン / ディスプレイ広告 / ページビュー / メディアレップ / リンク / 広告代理店
この記事が役に立ったらシェア!
メルマガの登録はこちら Web担当者に役立つ情報をサクッとゲット!

今日の用語

キャッシュレス決済
キャッシュレス決済とは、現金を利用せずに支払を行うこと。政府は、2018年4月に ...→用語集へ

インフォメーション

RSSフィード


Web担を応援して支えてくださっている企業さま [各サービス/製品の紹介はこちらから]