インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~

20日連続ストップ安! 米国のインターネット・バブル崩壊と楽天によるInfoseek Japan買収[第2部 - 第16話]

インターネット・バブル崩壊と楽天によるInfoseek Japan買収。ダブルクリックジャパン上場など激動の時代を振り返ります。

インターネット広告創世記〜Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シリーズ第16話。前回の記事はこちらです。

杓谷

世界に先駆けて携帯電話のインターネット広告市場が誕生し、携帯電話専門のメディアレップである「キャリアレップ」が登場しました。デスクトップパソコンにおけるインターネット広告と同様に、大手総合代理店の管掌の外で「勝手サイト」を中心に携帯電話のインターネット広告市場が2000年代に成長していきます。

佐藤

日本で携帯電話のインターネット広告市場が盛り上がり始めてきたのと同じ頃、2000年3月にアメリカでインターネット・バブルが崩壊し、Infoseekと僕はその煽りを強く受けることになりました。

加藤

アメリカのインターネット・バブル崩壊直前の日本は、インターネット・バブルがまさに頂点を迎えた頃でした。サイバーエージェントや楽天などの日本のベンチャー企業が続々と上場していきました。

インターネット・バブルが最盛期を迎え、ベンチャー企業が続々と上場

加藤:1999年8月の上場時に1株4,200円、時価総額1,300億円だったインターキュー(現GMOインターネットグループ)の株価は高騰し続け、2000年1月31日には、なんと株価41,000円を付け、ほんの数日ですが、時価総額が1兆円を超えました。

その翌月の2000年2月22日に、六本木のディスコ「ヴェルファーレ」でビットバレーの集会「ビットスタイル」が開かれました。ソフトバンクの孫さんがスイスで開催されていた世界経済フォーラムの年次総会・ダボス会議から飛行機を3,000万円でチャーターして帰国し、ヘリコプターで会場に駆けつけたという伝説のビットバレーの最後の集会に僕も出席していました。まさにインターネット・バブルの頂点といった様子で、孫さんもまた同時期に学生ベンチャーだった川邊健太郎さん(現LINEヤフー株式会社代表取締役会長)のピー・アイ・エム(P.I.M)をヤフー株式会社と合併する建付で買収するなど、ビットバレーの熱狂を注視していたのです。

その翌月の2000年3月に藤田晋さんのサイバーエージェントが上場、4月に堀江貴文さんのオン・ザ・エッヂ、三木谷浩史さんの楽天が上場しています。

株式会社まぐクリックが設立364日目の最短記録で上場を果たす

加藤:こうした状況の中で僕は、第15話でお話した携帯電話向けのインターネット広告事業を拡大していくのと並行して、「まぐクリック」の設立に深く関わって行きました。

1999年の初夏、ビットバレーの先陣を切ってJASDAQ店頭公開を目前に控えていたインターキューの熊谷さんから、「まぐクリック」の設立合意を伝えられました。「まぐクリック」は、1,000万部配信に達した「ウィークリーまぐまぐ」の中面5行広告と、メールマガジン本文内に掲載するクリック保証型5行広告を専門に扱う、まぐまぐ広告の総代理店です。

熊谷さんはこう予測していました。

メール広告の市場はこれからさらに伸びる。多くのネット系新興企業が上場し、株式市場は実績よりも成長性を重視するようになる。

彼の見立てに、僕も大いに共感しました。

「まぐクリック」設立に関する記事。記事タイトルの「新会社」が「まぐクリック」。
(出典:1999年9月9日の日本経済新聞の記事。加藤さん所蔵)

加藤: 熊谷さんのインターキュー上場の先にある超成長戦略には納得していましたが、熊谷さんからこう依頼されました。

全力で支援するから、日広でどんどん広告を売ってほしい。

とはいえ、どうしたものかと考えました。

たとえ日広の営業人数を倍に増やしたとしても、売上が単純に倍になるわけではありません。広告の商売とは、そういうものではないからです。

それならば、急成長しているネット専業の広告代理店をうまく活用するのはどうだろうか、と考えました。

僕は熊谷さんに、次のように提案します。

CCI、DACと同じ掛け率70%で卸すメディアレップをもう一つ作り、そこから日広だけでなく、セプテーニ、オプト、サイバーエージェント、更に大手広告主のハウスエージェンシーに代理店マージンを(CCI、DACより5%多い)20%にして卸そう。

1999年9月、「株式会社まぐクリック」登記とほぼ同時に僕は日広100%子会社の「株式会社メディアレップドットコム」を設立しました。日広から優秀なメンバー5名を異動すると同時に、リョーマ以来の仲間である森輝幸さん(現 GMOメディア代表取締役社長)を社長に迎えました。

その後、メディアレップドットコムをブースターにして、まぐクリックの売上は設立当初から目標予算を大きく上回る成長をみせました。新たに孫さんが始めた新興市場ナスダックジャパンで設立364日目にIPOを果たしました。この史上最短上場記録は、今も破られていません

2001年2月の株主総会資料に掲載されたまぐクリックの広告商品メニュー(加藤さん所蔵)

加藤:上場時におけるメディアレップドットコムの売上シェアは67%(つまりCCI、DACの売上は30%ほど)にまで及んでいましたが、翌10月、日広は予定通り!?メディアレップドットコムをインターキューに売却することで、まぐクリックは数多のネット専業と直接取引を始めることになりました。

Infoseekを「Go.com」に改称した矢先に......

佐藤:この頃のInfoseek Japanは、第13話でお話した通り、1999年11月にディズニー傘下の「株式会社インフォシーク」として再スタートしていました。これは、米国でディズニーが米Infoseek本社を買収した影響によるものです。

当時、インターネットに接続できる携帯電話は日本にしかなかったため、Infoseekの携帯向けウェブサイトは米国本社でも開発されていませんでした。そこで、ディズニーの日本法人と協力し、携帯向けウェブサイトの制作に取り組んでいました。

その後、ディズニーはInfoseekを「Go.com」に改称し、自社のコンテンツを活用しながら独自のブランドとして成長させようと考えていました。日本でも、それに合わせてInfoseekからGo.comへサービス名を変更することを検討していたのですが、突然、米ディズニーがGo.comのサービス停止を決定しました。

その背景には、検索連動型広告サービスをGoogleに先駆けて開始し、後にGoogleと激しい競争を繰り広げることになる「Overture」の前身、「GoTo.com」による訴訟がありました。GoTo.comは、ディズニーのGo.comが自社の名前やロゴ、サービス内容に似ているとして訴えを起こしたのです。この問題が大きく影響し、サービス停止になってしまったのです。ちょうどその頃、米国ではインターネット・バブルが崩壊していきました。

左:Infoseekの基盤を利用して作ったディズニーの「Go.com」(2000年2月)出典:Internet Archive
右:2000年12月の「GoTo.com」出典:Internet Archive

2000年3月、米国でインターネット・バブルが崩壊

大内

当時、MicrosoftのMSNも、ディズニー・Infoseekと同様の動きがあり、米国の本社でハリウッドのプロデューサーを招聘し、映画や音楽などのエンターテイメント産業と協業してMSNのコンテンツをリッチにし、ユーザーを囲い込もうという動きになっていました。

大内:その影響で、日本支社では独自にコンテンツを作ることが難しくなり、自由度がどんどん制限されていきました。そこで思い切ってMicrosoftを退職し、IBM時代からの旧知で、MSNの運営を共にしていた安川洋(現アユダンテ株式会社代表取締役)と一緒に、2000年1月に起業することを決めました。

私たちはMSNでの経験を活かし、ポータルサイトレベルのウェブサイトを構築できるCMS(Contents Management System)を開発・販売する事業を立ち上げました。これをNTT、KDDI、Japan Timesなどの企業が採用してくれました。さらに、検索エンジンの開発も視野に入れており、日本よりもアメリカの方が資金調達しやすいと考え、安川とともに渡米することにしました。

しかし、2000年3月、私たちがアメリカを訪れたまさにその時、インターネット・バブルが崩壊してしまったのです。アポを取っていた投資家たちも「それどころじゃない」といった様子で、資金調達は完全に失敗に終わりました。

加藤:米国の影響を受け、日本でもインターネット・バブルが同時に崩壊しました。先ほど、2000年3月にサイバーエージェント、翌4月に楽天とオン・ザ・エッヂが上場したと話しましたが、このわずか1カ月の間に株価が大暴落したのです。

サイバーエージェントはインターネット・バブル崩壊前だったため、225億円という大規模な資金調達に成功しました。しかし、翌月上場したオン・ザ・エッヂは60億円にとどまり、もし上場が1カ月早ければ、より多くの資金を調達できたはずです。

また、光通信は20日連続のストップ安となり、時価総額が7.46兆円から4,200億円へと大幅に下落しました。ソフトバンクの時価総額も大きく落ち込みました。

第15話で、2000年6月にiモードのキャリアレップ、D2Cの説明会が開催された話をしましたが、その頃の業界全体は、バブル崩壊の影響を受け、すっかり意気消沈していたのをよく覚えています。

楽天によるInfoseek Japan買収

佐藤:GoTo.comとの訴訟やインターネット・バブルの崩壊などの影響で、米国本社がGo.comのサービスの停止を決定しました。そこで、Infoseek Japanとして今後どうするべきかを考えていたところ、楽天の三木谷浩史さんが買収に名乗りを上げました

楽天の狙いは、日本国内でYahoo! JAPANに対抗できるポータルサイトを手に入れること、そして主力サービスである楽天市場へのトラフィックを増やすことでした。買収が成立した後の記念パーティーで、「親会社変われどミッキー変わらず」とスピーチしたら、会場の一部で大ウケしたのを覚えています(笑)。

Infoseekの買収に関する会見を行う三木谷氏
出典:Finance Watch「楽天がインフォシークを買収~ヤフーと真っ向勝負」(2000年11月30日付け)

2001年4月、ダブルクリックジャパン上場

加藤:この少し後の話になりますが、2001年4月、第14話で登場した米DoubleClickの日本法人、ダブルクリックジャパンが上場します。この連載を運営しているインプレスも株主の一社として名を連ねていましたね。

米DoubleClickトランスコスモスNTT東日本NTTアドインプレス
43.23%41.23%5.55%5.55%2.44%
上野

そもそもなぜ米DoubleClickとトランスコスモスに加えて、NTT東日本、NTTアド、インプレスという資本構成になったかについて解説しておきたいと思います。

上野:ダブルクリックジャパン設立当時、NTTには「マルチビジネス開発局」という部署があり、インターネット関連の事業の立案や研究を行っていました。この部署が中心となり、ダブルクリックジャパン設立時に出資する形となりました。

しかし、1999年7月にNTTはNTT東日本とNTT西日本に分社化。その際、ダブルクリックジャパンの株式はNTT東日本が引き継ぐことになり、上場時の株主はNTTではなくNTT東日本になっています。

では、なぜNTTグループのNTTアドが関与していたのかというと、当時「NTT法」により、NTTは通信事業以外のビジネスを行えなかったからです。第14話でも触れたように、ダブルクリックジャパンの主要メディアはNTTグループの検索エンジン兼ポータルサイト「goo」でしたが、この「goo」の運営主体はNTTアドでした。

また、インプレスが3%の株式を保有していたのは、ダブルクリックジャパンを通じて自社メディアの広告枠を活用してもらう意図があったのだと思います。

アスキー、インプレス、トランスコスモスのつながり

上野:少し昔の話になりますが、第8話でも触れたように、西和彦さん、郡司明郎さん、塚本慶一郎さんの3名がアスキーを設立し、その後、郡司さんと塚本さんが独立してインプレスを立ち上げました。

アスキーはMicrosoftのソフトウェア販売権を持っていたため、コンピューター関連ビジネスに深く関わっていたトランスコスモスにも、元アスキー出身者やMicrosoft出身者が多く在籍していました。

トランスコスモスには、Microsoftの日本人1号社員で、「面接官がスティーブ・バルマー(米Microsoft本社の前CEO)だった」と語っていた方がいました。Microsoft全体の社員番号でも100番台という早い時期の入社だったそうです。

3/20は祝日のため更新はお休み。次回は3/27(木)公開予定(毎週木曜日更新)です。

◇◇◇

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用語集
CMS / D2C / LINE / キャリア / メディアレップ / 広告代理店 / 検索エンジン / 検索連動型広告
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