Appleを介して世界を魅了したスティーブ・ジョブズ、56歳で他界 | SEO Japan

SEO Japan - 2011年10月11日(火) 11:03
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スティーブ・ジョブスがAppleのCEOを退任した際にも多数のジョブス関連の記事を紹介したSEO Japanですが、今回のニュースはいつか来る話を予測できたとはいえ、やはり衝撃中の衝撃でした。そんな思いを共感するThe Next Webからスティーブ・ジョブスの人生についてのお話を改めて。 — SEO Japan 2011年10月5日水曜日、スティーブ・ジョブズ氏が他界した。56歳であった。アップルの会長および共同設立者として、ジョブズ氏は、テクノロジーの利用およびテクノロジーに対する考え方を、良くする、簡単にする、そして、美しくするにこだわることで、180度変えた。 移民の家系で孤児として育ったジョブズ氏は、その努力と創造力を基に天職を心行くまで全うし、アメリカの伝説となった。CEOおよび講演者としてのスキルを併せ持つ同氏は注目に値する人物であった。何かに情熱を注ぎ、そのために生きると、周りには伝わるものだ。 確かにジョブズ氏は演説と興行の才能に恵まれていたが、アップルの製品に対する愛と情熱によってその才能はさらに磨かれていった。ジョブズ氏自身が努力していたのだ。この個性のインパクトを軽視するべきではない。 妻のローリーン、そして、4人の子供を残し、ジョブズ氏は穏やかに亡くなった。残れた家族の心には“家族を大事にした父親”としてのジョブズ氏が永遠に刻まれるのだろう。 家族以外の人々も、若干距離はあるものの、それでも親しみを持って同氏を今後も記憶に留めていくだろう。 ジョブズ氏は生前コンピュータをツール以上の存在と定義した。コンピュータをパーソナルにしたのだ。ジョブズ氏は会社を設立し、一度は追われるものの、危機に際して呼び戻された。この会社は世界で最も価値のある会社に成長した。 世界を変えるデバイスに変更を加えるだけでは満足せず、ジョブズ氏は音楽と携帯電話に注目し、ガラスと鉄で作られたガジェットをよりパーソナルに利用するように仕向けた。 私達の多くは単純に“スティーブ”と呼んだが、スティーブ・ジョブズ氏は謎に包まれた人物であり、製品を作るために全てを捧げていた。 アップルの莫大な利益を支えていたのは製品でも、特許の山でもなければ、市場を支配するiPadでもなかった。アップルを支えているのはアップルであり、浸透したジョブズ氏の考え方、そして、常に改革を求める探究心であった。 スティーブ・ジョブズ氏は完璧な人物ではなかった。また、人を不快に思わせる面も多いに持ち合わせていた。ジョブズ氏は非常に注文が厳しく、気が短い。報道陣に腹を立てたことも一度は二度ではない。また、アップルの製品について大きな間違いを犯し、その影響力を総動員して世論を誤って説得しようと試みたこともあった。さらに、競合者やジャーナリストを誤った方向に導くことに快感を感じていた。しかし、だからと言って、同氏が現代で最高の企業のリーダーの一人として私達の記憶にとどまることに変わりはない。 設立に尽力した会社から1985年に追われ、1997年に舞い戻った象徴的な出来事に関する質問への答えの中で、ジョブズ氏は、アップルが同氏の操り人形以上の存在であると率直に述べていた。「あなたは間違えている。アップルは一人舞台ではない。」とジョブズ氏は語った。「この会社に再び息吹を与えているのは、数年間に渡って負け犬と呼ばれ続けた、大勢の才能豊かな従業員に恵まれていると言う事実だ。実際にそのうちの何人かは本気で負け犬だと思い始めていた。しかし、彼らは負け犬ではない。彼らに足りなかったのは、優れたコーチ陣、優れた計画、優れた経営幹部であった。それが今のアップルには揃っている。」 従業員に厳しく当たり、要求が多いと言う評判があるにも関わらず、従業員の同氏への忠誠心はどこの会社よりも高いと今でも言われている。 1997年当時、アップルのロゴは特徴的な複数の色のリンゴであり、設立以来、同社のシンボルであった。 ジョブズ氏が同年アップルに復帰すると、ある従業員に会社が傾きかけているにも関わらずなぜ辞めなかったのか問いかけた。するとこの従業員は「私には6色の血が流れているんです。」と答えた。 スティーブ・ジョブズ氏は、その才能、秘密主義、予知能力、そして、頑固を貫くことで、アップルを自分のイメージ通りに作った。アップルは企業として巨大化したものの、ボブ・ディランの楽曲の世界にジョブズ氏を引き込んだ反骨精神を維持した。現状を自ら常に破壊する姿勢を通して、アップルは、評論家達にことあるごとに終わりを予告されつつ、従来の考え方を否定してきた。 現在のアップルを構築したスティーブ・ジョブズ氏の姿勢は、若い世代の起業家の起業における成功への対処を問われた際の答えに集約されている。 …何度も絶望と苦痛にさらされる。従業員を解雇しなければならないとき、物事を否定し、困難な状況に対処しなければいけない。そんなときに本当の自分、そして、自分の価値に気づく。そのため、起業家達が大儲けしているにも関わらず会社を手放す時、今後の人生において最も見返りのある経験の一つとも言える経験を自ら手放していることになる。この経験がなければ、自分達の価値も、新たに得た富を適切に保つ方法も知ることは出来ない。 ジョブズ氏本人の問題の解決方法はアップルに隅から隅まで浸透していた。20年間アップルに努めるベテラン社員に、10名または20名のエンジニアが問題に対処していると、本能的に何か間違いを犯していることに気づくと言われたことがある。アップルの繁栄は、情熱的に作業に取り組む1人、または2人のチーム、そして、上司による入念なチェックの上に成り立っている。 「デザインと言うのはおかしな用語だ。」とかつてジョブズ氏は語った。「デザインは見た目だと思っている人もいる。しかし、当たり前だがもっと突き詰めて考えると、実は仕組みを意味する。」 1976年、アップルはスティーブ・ジョブズ氏、スティーブ・ウォズニアック氏、そして、ロナルド・ウェイン氏によって設立された。設立された直後から、アップルはスティーブ・ジョブズ氏の哲学とビジョンを伝えてきた。しかし、過去10年間、ジョブズ氏が次世代のiMac、iPod、またはiPadを制作するだけではない兆候が見えていた。 同氏は、「ワン・モア・シング」(もう1つ)こと、アップル自体を作り上げたのだ。 スティーブ・ジョブズ氏は、今までの仕組みの先を思い描き、どのように感じていたかを考えるべきだと教えてくれた。大勢の人々が、スティーブが – アップルを経由して – 作り上げたツールによって刺激を受け、美しく、有意義な作品を創造してきた。 このようなツールはそれ自体が美しく、思いやりと目的が行き届いているため、刺激をもたらすのだった。職人気質、そして、細部への徹底したこだわりこそが、ジョブズ氏の他界を伝えるニュースの、同氏の作品のユーザーの捉え方に影響を与えているのではないだろうか。 スティーブ・ジョブズ氏は、製品に全身全霊を捧げていたため、iPad、iPhone、またはMacに触れる度に、同氏と会話をしている気分になる。その製品を使い、その分かりやすさ、そして、ジョブズ氏が常に約束していた未来で生活しているような感覚に驚くと、ジョブズ氏は笑顔を返してくれる。 現代においても、そして、未来においても、あまりにも早過ぎる死であった。しかし、何歳であっととしてもジョブズ氏の死去は早過ぎる死と言われるだろう。 私達はいつもジョブズ氏がすべてを変えてくれると期待していた。もう一度。 ソース: イメージ: Jonathan Mak ライター紹介 マシュー・パンザリノ氏はTNWの西海岸担当のエディターである。20年間をコンピュータ業界で過ごし、モバイルテクノロジーに精通しており、最新且つ最高のテクノロジーニュースを提供する。ツイッターでフォローするならここをクリックしよう。eメールなら、matthew@thenextweb.comで連絡を取ることが出来る。 この記事は、The Next Webに掲載された「On Steve Jobs.」を翻訳した内容です。 陳腐な感想や今後のAppleについては幾らでも語れますが、、、今日はただただジョブスの功績に感謝。 — SEO Japan
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