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インターネットの歴史は繰り返すのか? 「次に来る未知のモノ」への対処法

第二回DMI Forumから「歴史は繰り返す?デジタルがもたらしたのは喜劇か、悲劇か。」をテーマにしたパネルディスカッションの模様をお届け。

さまざまな出来事について「歴史は繰り返す」と言われることがあるが、それはこの四半世紀で大きく変化してきたインターネットの歴史についても当てはまるのか。花王株式会社の廣澤 祐 氏が博報堂DYメディアパートナーズの森永真弓氏に話を聞いた。

(左から)花王株式会社 廣澤 祐 氏、博報堂DYメディアパートナーズ 森永真弓氏

デジタルマーケティング研究機構(DMI)が主催した「デジタルマーケティングフォーラム」の個別セッションAトラックでは、DMI 幹事で花王株式会社の廣澤 祐氏がファシリテーターとして登壇。博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所の森永真弓氏をスピーカーに迎え、「歴史は繰り返す?デジタルがもたらしたのは喜劇か、悲劇か。」というテーマで、セッションを行った。

次に来る未知のモノに対応するためにも。欠かせない歴史の知識

今年、森永氏が『欲望で捉えるデジタルマーケティング史』(太田出版)を上梓したことに加え、デジタルマーケティングフォーラムとして歴史を振り返り未来を予測するという大きなテーマを持っていることから、設定された今回のセッション。

森永氏は、書籍制作にあたり、さまざまな情報をまとめる作業の中で「歴史は繰り返している」と感じることが多いと話す。その一例が、昔多く目にした「続きはウェブへ」という誘導だ。以前は、自分たちの作った“おもしろコンテンツ”に誘導することを目的としていたが、最近はブランドのポリシーや考え方、精神などをより知ってもらうための誘導が増えてきたと感じていると言う。同じように見えても、少しずつ変化していると言うのだ。

10年前ならTwitter、今ならTikTok――次々に登場するサービスに対応し続けるのではなく、どのような新しいコンテンツやサービスが登場しても、対応できるような基礎対応力を付けるためにも歴史を学ぶことが重要じゃないか、と本を書いて思いました(森永氏)

コミュニケーションは非同期からリアルタイム同期へ
テーマ1 コミュニケーションの双方向性

今や当たり前となっている、非同期の双方向コミュニケーション。たとえば、ニコニコ動画(以下、ニコ動)がその一例だ。いままさに視聴者たちが同時に投げ込んだコメントで覆い尽くされているように見えるが、実際は擬似的に作られたリアルタイム性で、動画を見る人は、お茶の間で友人たちとワイワイと一緒にみているような感覚を擬似的に体験できるが、リアルタイムでのコミュニケーションとは異なる。

以前は、ネットワークやサーバ、ユーザー側の端末の環境などの問題で、リアルタイムでの双方向コミュニケーションが難しかったために、非同期で擬似的なコミュニケーションができるコンテンツが作られてきた。

しかし、最近は「体験消費」というキーワードも増えてきているように、時間的に同期している双方向コミュニケーションの価値が浮上している。その一例として森永氏が挙げているのが、サブスクリプションの動画配信サイトでのオリジナル作品として制作されたとあるドラマだ。

全十話のドラマが動画サイトで一気に公開されたときは、業界内の評判は高かったのですが、一般的にはそこまでの評判につながりませんでした。ところがその後BSで、このドラマが毎週1話づつ放送され始めたら、原作者や役者さんのファンが、放送タイミングでTwitterで実況し、盛り上がりをみせたのです(森永氏)

同じような現象は、ネットでの動画配信作品ではあるが、テレビ放送のように配信開始時間を固定し、1話ずつ配信にしたしたリアリティショーやドラマでも見られたという。

『いつでも見られる』『好きなだけ見られる』ではなく『今この時間、このタイミング』で自分の時間を押さえ、みんなで盛り上がることで楽しい体験をゲットしたい。いつでも情報を受け止められる状況だからこそ、生まれてきた現象のひとつなのかなと思っています(森永氏)

では、これまで主流だったニコ動のような非同期型のコミュニケーションは廃れてしまったのか。廣澤氏の問いに、森永氏は常にリアルタイムのコミュニケーションも疲れるため、非同期での情報取得も必要。だからこそ、ユーザーが「100%入れ替わるとは感じていない、どちらも存在する状態になる」と話す。

ユーザー側は、今まではメディアの都合に自分を合わせるしかなかったし、それが当たり前でした。しかしサービスやテクノロジーの発達により状況に合わせて、情報を取ることが可能になったことで、『自分の都合という欲望を自覚できてきた』という気がしています(森永氏)

では、ユーザーのリテラシーが変化する中、企業側はどのようにユーザーの欲望と向き合っていけば良いのだろうか。その問いには「どこかで腹をくくって、自動対応にすることが解決策の一つになる」と森永氏は提案する。

どんどん分散していくと、基本的に面倒くさいことが増えていくことになります。それらの細かい面倒くさいことをどこまで人間の仕事として対応するのか、そしてどこまで完ぺきを求めるのかを判断しなければなりません。人間の工数は無限ではないので、人間による柔軟な対応をし続けるには限界があります。ユーザーに多少不便やさみしい思いをさせてしまっても、不満を持たれて苦情が来たとしても、企業として割り切りをしていかなければいけない時代だと思います(森永氏)

ただし、この割り切りを間違えると炎上しかねないという一面もある。しかし、割り切れないからと全方向対応することは、労務管理上の問題が発生しかねない。そういった危険性に対し、森永氏は「意外と人は柔軟だから、ロボット対応であると開示することで、態度を変えてくれます」と話す。

たとえば、ロボット式掃除機を快適に動かすために、人が先に掃除や片付けをしますよね。これは、自動ロボットの能力の限界を理解しているから、その能力を存分に引き出すために、ユーザー側が快適にロボットが稼働できるように対応するという流れです。人がロボットに使われていると言ってもいいかもしれません(笑)。

同じように、企業が提供できるサービスの能力や限界を明確にして伝えてしまった方が、むしろ正直でいいのではないか、ユーザー側も素直に受け止めてくれるのではないか、企業に工夫して向き合ってくれるのではないか、という気がします(森永氏)

マーケティングは、これまでの広くとるスタイルには戻らない
テーマ2 フィルターバブルとエコーチェンバー

デジタル系のプラットフォームを使用し、情報が最適化されることで自分にとって都合の良い情報しか入ってこなくなるテクノロジーに起因した現象を「フィルターバブル」、他方、SNSなどで自分の意見や思想と似通った人の意見ばかりを取り入れることで思想が偏っていく現象を「エコーチェンバー」と言う。

廣澤氏は数年前、10代に「花王」という社名が伝わらなかったというエピソードを紹介。自身の体験から、「自分がいらない情報が入ってこない方が楽」というZ世代にどのように向き合っていけば良いのかと投げかける。

対して、森永氏はメーカー名より商品ブランド名で大々的にキャンペーンを行っていた2000年代前半の流れを取り上げ、メーカーとして社名をどれくらい大切だと考えているのかと問うた。

たとえば「ビオレ」で提供できるソリューションには限界があり、「花王」という会社で構えた方が社会との整合性も高いと廣澤氏。

その一方で、韓国コスメの昨今のブームによって韓国コスメにばかり興味を示した結果、日本のコスメの情報が入ってこないという人たちに対して、情報を残していく難しさを感じていると言う廣澤氏に対し、森永氏は「昔ながらの広く取るというマーケティングは戻ってこない」と話す。

以前は、今ほど選択肢もなかったから、本当は『好きじゃないのかもしれないもの』も見たり買ったりしていました。そこに疑問はあまり持たなかったんですよね。しかし、情報が増えてきて選択肢が増えたら、実は強制的に見せられていたものを、そんなに好きじゃなかったことに気づいてしまった人が出てきました。そうなったとき、1つの商品を1つのメッセージで押し通すには限界があります。人員配置を換えて商品を分散するのもあり、商品は1つでもメッセージとその届け方を分散させるのもありかもしれません。最近のDXという言葉に象徴されるように、根底からの改革が必要なのかも知れません(森永氏)

そう考えると、我々もビジネスモデルを変えていかないといけない。規模があまり大きくない集団を対象とした商品の場合、大量生産体制のように1商品に何十人・何百人と人員を投入するのではなく、数人程度のスタッフで1000人のための商品をつくるという体制も考えなければいけないのかもしれません(廣澤氏)

変化してきたビジネスは、以前は1メッセージ1ビジュアルでの強さを出すためにメーカーと広告会社が相談して作っていたクリエイティブの作り方にも変化をもたらしている。たとえば、商品の魅力が100あれば、そのメッセージや特徴ごとにコミュニティがいくつも存在する。そんな構造に変わっていくと森永氏は言うのだ。

コミュニティ構造になることで、マーケターも得意分野が違う混合編成になっていくと、廣澤氏は予想する。

マーケター側も、好奇心とパッションが持続するテーマを見つけなければいけないかも知れないですね(廣澤氏)

「人」から「企画」「組織」へ。時代は揺り戻す
テーマ3 インフルエンサーの台頭とクリエイティブクラスの崩壊

インフルエンサーに限らず、個人が発信する時代。廣澤氏は「広告だけでなく、クリエイティブも民主化されていると感じる」と話す。一方で、Z世代は「イケている人にならなければならない」というプレッシャーにさらされており、不幸感があるなと感じていると言う。誰もが作り手になれるオープンソース環境が整ったがゆえに、個人が競争に晒される今の社会の良い点、悪い点は何だろうか。

この問いに対し、森永氏は「人にファンがつく構造になった結果、企画や組織のファンが減っている状況がある」と話す。しかし、この流れも、やがて個人では担保できないコンプライアンスや事故が起きて、企画や組織が重要という揺り戻しがくると予想。実際、さまざまなシーンで揺り戻しが起きていると言う。

組織と個人の問題からは逸れますが、たとえばカンヌも近年はテーマが大きすぎて、もはや企業広告でどうにかなる世界じゃないと感じてしまうものが受賞しているケースもありましたが、今年はCMを純粋に評価するトラックができたと聞きました。クリエイティブの祭典でも揺り戻しが起きていると感じます(廣澤氏)

ドラマでも一時期、警察の陰謀とか国家の裏などの天下国家系ドラマが増えていました。しかし、みんなついていけなくなって、小さい事件をちょっとずつ解決する形のドラマにまた戻ってきたりしてるんですよね。そういった繰り返しは色んなところで起きています。何でも、何らかの変化が必ず起きるはずだから、構えておいた方がいい。右往左往する必要はないんじゃないかなと、思っています(森永氏)

またZ世代は「焦っている世代」に見えると森永氏。脊髄反射で答えを出すスピードを強く求めがちな傾向があるが、α世代ではまた異なった状態だという。

やはり上の世代に対して、下の世代はカウンターで来ることがあります。α世代やさらに下の世代がZ世代を見て、『そんなに急いで解を出す必要はないのでは?』と考えていたら、また異なる価値観が生まれますよね(森永氏)

今回、2人の視点から正解のない問いに対してお互いの視点を語り合った30分。最後に廣澤氏は「いろんな話を聞きながら、自分の中で将来のシナリオを作って、誰かと共有し、ディスカッションをすることが解決策の一つになり得る」と締めくくった。

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