老舗ブランド「中川政七商店」のデータで支えるブランディング戦略
自社で共同開発した顧客データ分析ツール「MONJU(もんじゅ)」を使用して、効果的なマーケティングを実践している老舗ブランド「中川政七商店」。「デジタルマーケターズサミット 2025 Winter」に登壇した同社の中田勇樹氏が、クラスタリングによる顧客理解やA/Bテストの実践、生成AIを活用したメルマガ運用の取り組みなど、データによるブランディングをどのように実現しているのかを紹介した。

MONJU プロジェクトマネージャー 中田 勇樹 氏
顧客とのタッチポイントをコントロールしてブランドを形成する
中川政七商店では、ブランドとは、「差別化され、かつ一定の方向性をもったイメージによって、商品・サービス・会社にプラスをもたらすもの」と定義。
店舗の接客や商品パッケージ、雑誌や新聞、Web、テレビやSNSなどのメディアに至るまで、すべての「タッチポイント」を「ブランド体験の場」としてコントロールし、統一された価値観と世界観を丁寧に設計していくことを「ブランディング」と呼んでいる。
そして、ブランディングでは、伝えるべき情報(コンテンツ)を整理して正しく伝えることを重視して運用しているという。
ブランディングをサポートするMONJU(もんじゅ)
こうしたブランディングがうまくいっているかを可視化し、診断するために始まったのが、社内プロジェクト「MONJU」である。CRM(Customer Relationship Management)データを活用し、ブランディングに対するユーザーの行動を収集し、「商品政策・販売戦略・コミュニケーション設計」に活用している。
MONJUは、次図のようにブランディングを「戦略」「戦術」「戦闘」の3つのレイヤーに分け、ユーザーの反応データや行動データを取得し、分析・解釈して比較。得られた結果をブランドに返していく。

ブランディングをデータで可視化する
データを平均値ではなく「かたまり(集合)」として捉える
中川政七商店では、データを平均値ではなく「かたまり(集合)」で捉えるクラスタリング手法を導入している。
CRMデータから導き出されたユーザーの購買傾向や行動をもとに、「内祝いクラスター」「手土産クラスター」「アパレルクラスター」など、類似の特徴をもつグループ(クラスター)に分類し、それぞれにラベルをつけ、どのような顧客層で、どのような価値観やニーズがあるのかを可視化しているわけだ。
クラスタリングの手順
まずは、購入商品のカテゴリに基づいてクラスタリングを行う。同社で扱う商品数は4,000種類にも及ぶため、100前後のカテゴリ単位で分類している。具体的には、次図のようなマトリクスを作成する。

そして、似たようなカテゴリに1が入っている顧客をグルーピングしていく。中川政七商店では、顧客を8つにグルーピングし、それぞれにラベルをつけ、実際の顧客像と結びつけて理解を深めている。
なお、ラベルづけは、定量・定性データの双方を参照しながら、たとえば「このクラスターは、実店舗でよくみる、このようなお客様と似ている」といった仮説を立てて行う。この仮説が正しいかどうかは、データと照らし合わせながら検証している。仮想データをChatGPTに入力し、クラスターの特徴や名称を整理するという試みも行っているという。
「クラスター×購入頻度」で可視化されたカスタマージャーニーを作成
クラスタリングの分析を深めるうえで有効だったのが、「クラスター×購入頻度」の掛け合わせによる行動変化の可視化である。
たとえば「内祝いクラスター」の場合、初回購入はペアのグラスなどの贈答品だが、2~3回目になるとベビー用品の購入が増え、出産祝いへとニーズが変化していることがわかった。さらに、4~6回目ではタオルやサニタリーグッズ、7回目以降にはコスメへと、商品ジャンルの幅が広がっていく傾向がみられた。
このような購買履歴から、1つの仮説が導き出される。結婚祝いで同社の商品を贈り、相手に喜ばれた顧客が、それをきっかけに「贈る」立場から「自分で使う」立場へと移行していくストーリーである。
贈り物として評価の高かった商品が、次第に自分の生活に取り入れられていく――。
こうした自然な流れをカスタマージャーニーとして捉え、各フェーズに適したアプローチを設計することが、ブランディングの重要な鍵となっている(中田氏)
中川政七商店では、こうした1人ひとりの購買ジャーニーを把握したうえで、顧客の現在地に応じたアプローチを設計することで、ブランディングを「感覚」ではなく「データ」で支える仕組みを構築している。
クラスター別に最適化するコミュニケーション施策
ブランドとの接点をどうパーソナライズするか。
その鍵を握るのが「クラスター別のコミュニケーション」である。中川政七商店では、顧客をユニークユーザー(UU)単位でクラスタリングし、分類情報を既存のCRMツールやMA(マーケティングオートメーション)ツールに連携させることで、精緻なコミュニケーションを実現している。
注目すべきは、クラスターデータを活用したA/Bテストの手法である。従来のA/Bテストでは、「AとBのどちらが全体に効果的か」という評価で終わっていた。しかし、同社ではクラスターごとに反応の違いを可視化し、各クラスターに最適なアプローチを導き出している。

例をあげてみよう。たとえば、次の表をみてほしい。

この表をみると、クラスター7の顧客が全体の約3割を占めていたことが判明する。これまでも社内で「クラスターごとに訪問者数の偏りがある」という感覚はあったものの、「クラスター×A/Bテスト」の視点で分析することで明確に数値化できた。こうした偏りを見落とさないことで、A/Bテストの精度も大きく向上している。
さらに、シナリオごとにコンバージョン率をクラスターレベルで比較した結果、全体では不成立だったA/Bテストが、特定のクラスターでは高い効果を示していたケースも確認された。
こうした分析を重ねながら、クラスターごとにUIやメッセージ内容を調整し、個々に合った体験を提供していく。中川政七商店はコミュニケーションの「量」ではなく「質」を重視し、データドリブンでブランド体験の最適化を進めているのだ。
クラスターを起点としたシンプルかつ精度の高いメール配信を実現
中川政七商店では、従来型のメルマガやシナリオメールに代わり、クラスターを起点とした新たなメール設計に取り組んでいる。これまで、メルマガ会員やLINE仮会員、本会員といったステータスごとにシナリオを設計。来店・購入・レビュー・アンケートなどイベントごとにメッセージを分岐させる形式を採用していた。

しかし、商品単位で細かくシナリオを組むほど対象者が減り、ROAS(Return on Advertising Spend:広告費用対効果)は下がっていった。また、細分化すればするほど、URLの期限切れや在庫切れなど運用面の手間が増大。結果としてブランド体験を損なうリスクがあり、シナリオの粒度調整が難しいという壁に直面した。
そこで、すでにクラスター分けされているユーザーを起点に、メール配信の設計を刷新。クラスターごとに「購入回数」に応じたタイミングで、適切なコミュニケーションを自動で実行する設計に変更した。クラスターが8つであれば、シナリオ分岐も8つで済むため、配信ボリュームの予測や管理も容易になる。

さらに、各クラスターの購買傾向が事前に把握されているため、レコメンドの精度も高く、より効果的なメッセージ配信が実現する。メールの反応結果を通じて、クラスターのラベリングの正確性も再検証できるようになり、クラスター設計自体の精度も高まる好循環が生まれた。
ブランドのポジショニングとクラスターを連携させる
中川政七商店では、ブランドの定性理解を深めるための独自アンケート「BPM(ブランドポジショニングマップ)」も活用している。ユーザー、モニターへの調査を通じて、「どのようにブランドが認知されているか」「今後どんな方向に進むべきか」を分析しているという。

BPMの結果とクラスター情報を掛け合わせることで、「もっと増やしたいイメージのユーザー」がどのクラスターに該当するかを特定でき、そのクラスターに集中的にアプローチできるようになる。こうした設計はSTP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)分析の概念と一致する。
MONJUでは、よりデータに裏打ちされた設計が可能(中田氏)
また、商品開発には一定のリードタイムが必要であり、仮説の検証を後回しにするとサイクルが遅くなる。そこで、クラスターに基づいて「類似商品+想定コミュニケーション」で反応を事前にテスト。この結果により、確かな仮説に基づいた商品開発や販促に移行できるようにしている。PDCAを高速で回す体制を整えているわけだ。
クラスタリングと生成AIの組み合わせがもたらす実用性
中川政七商店が推進するクラスタリング手法は、当初想定されていなかったが、生成AIとの相性が極めて良いことが徐々に明らかになってきた。同社の商品は職人による少量生産が基本で、商品の種類も常時4,000点と多岐にわたる。また、シーズンで売り切る商品も多く、PDCAを回す前に販売が終了してしまう課題があった。
そこで、共通傾向をもつ「ユーザー群=クラスター」に注目し、ある程度の規模単位で販路戦略やコミュニケーションを設計した。生成AIを活用すれば、コンテンツ制作の効率が飛躍的に向上し、クラスターごとに最適な表現へと自動で調整が可能となる。
クラスターは個人情報を含まないため、生成AIの活用ではセキュリティリスクを低減できる。また、データの少ない新規ユーザーに対しても、所属クラスターの購買傾向をもとに適切な情報提供も可能だ。
大規模な購買データをもたない企業でも、限られたファーストパーティーデータを活かして、高精度なコミュニケーションを実現できるのがこの手法の強み。クラスターは、単一ブランドがもつ限定的な顧客理解を補い、生成AI時代の実践的なブランディング基盤となり得る(中田氏)
生成AIを活用したブランドトーンの再現とメルマガ自動化の試み
生成AIを活用した取り組みは他にもある。ブランドのトーン&マナー(トンマナ)を再現し、メルマガコンテンツを自動生成するという検証だ。中川政七商店のメルマガには、担当者のちょっとした季節の挨拶やメッセージが添えられており、いわゆる販促メールにとどまらない、ブランドの温度感も届けられるツールとなっている。
最近では次図のように、「件名」と「冒頭の季節の挨拶文」の生成と検証が進められている。これまですべて人力で原稿作成していたものを、その要素や温度感は残しつつ、さらにコンテンツ力を上げることが目的だ。件名については、配信予定月のなかから高い遷移率を記録した過去のタイトルを抽出し、商品内容やコンテンツとの類似性をもとに適切な候補を選出する。
なお、現時点では人の手ざわりを残すため、AIによって生成された導入文の採用には至っていない。ただし、A/Bテストの結果では、人間が作成したタイトルとAI生成のタイトルで、反応率に大きな差はなかった。このことから、一定の範囲であれば、生成AIにトンマナの再現を任せることも可能であると実証されつつある。

これにはRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)やロングコンテキストのプロンプト活用が可能であり、生成AIがタイトルの案出しと予測遷移率の算出まで担う仕組みとなっている。たとえば、“【新着】究極の晒で、至福のバスタイムを。”といった出力がブランドのトーンと完全一致ではなくても、予測遷移率によっては実用レベルの精度に達していると考えられる。
本セッションの終わりに、中田氏は、次のように締めくくった。
あくまで人間が主だが、AIのサポートを受けながら、最終的には商品の売上予測や特集ページの編集など、さまざまな領域でAIと協働する業務環境を目指していきたい(中田氏)
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