マーケターはベーススキルを常に鍛えるべし/『デシマはつらいよ』完結記念インタビュー
2019年5月から3シーズンにわたり掲載してきた、マンガ『デジマはつらいよ』が、2023年3月に完結しました。これを記念して、原作者である中澤伸也氏に、印象に残っているエピソードや隠された意図についてインタビューしましたので、お届けします。
マーケティングに必要なのはインテグリティ
――『デジマはつらいよ』の連載を終えて、現在のご感想をお聞かせください。
中澤: とりあえず、現時点でデジマという領域において伝えたいことは出し切ったかなと思います。あとは、マーケターは狭義のマーケティング(プロモーション)ではなく、プロダクトを生み出したり、DXを推進したりするという広義のマーケティングにシフトしなければいけないので、そちら側の話ができれば良かったかなとは思います。
――3つのシーズン全43話の中で、特に思い入れのある回はありますか?
中澤: このマンガシリーズで、一番伝えたかったのは「インテグリティ(真摯さ)」(シーズン1の7、8、9話)です。
インテグリティは説明が難しい。たとえば一流の職人が何かを作るときに、自身がもっとも重要視しているスタンスがありますよね。それがマーケティングにおいてはインテグリティ。言葉にするとふわっとした精神論に見えてしまうので、マンガという形式が伝えやすかったのかなと思います。
マーケティングはさじ加減が重要で、少し間違うとスパムや虚偽にもなってしまう。だから、インテグリティが一番重要です。これは、マーケティングに限らず、ビジネス全般に言えること。インテグリティがなくても短期的には成功できるけれど、長期的な成功や、持続可能な関係性を顧客と築くのは難しい。インテグリティがないということは、お客さんは感じ取ります。人は敏感ですから。
――インテグリティはKPIに表れないので難しそうです。
中澤: 表れないからこそ、常に軸として持ち続けなければいけないんです。
極論すると、マーケティングとはコミュニケーションだと、僕は思っています。顧客、もしくは市場との対話なんです。コミュニケーションである以上、その人の人格やスタンスは伝わってしまいます。
「正直ベース」のコミュニケーションで気づいたインテグリティの大切さ
――大人になると、「インテグリティがないですね」と言ってもらえることはなくなります。中澤さんがそれに気づいたきっかけを教えてください。
中澤: 何だろうな。僕は店舗の経験が長くて、すごく売り上げの高い販売員でした。1日に100人以上のお客様を接客していましたが、やっていたことはシンプルで、「正直ベース」でお客様とコミュニケーションしていたんです。
たとえば、店舗には店舗の事情があって、「同じような商品なら、できればこちらの商品を売りなさい」ということもあります。でも、「このお客様には、正直こっちの商品の方が良さそうだな」と思えば、店舗の利益を度外視して、そちらをお勧めしていました。
すると、何が起きるか。お客様は、買うことが目的ではなく、その製品を使うことが目的ですよね。使ってみて「君が勧めてくれたあれ、すごく良かったよ」と、また来店いただけるんです。
インテグリティを大事にした対応をすることで、お客様との持続的な信頼関係ができて、リピート客になってくれる。すると当然、売り上げが積み上がる。年に2回購入してくれたら、お客様を2人獲得したのと同じです。
ただ当時はマーケティングを勉強していたわけではありません。30歳過ぎくらいにドラッカーの『プロフェッショナルの条件』(ダイヤモンド社、2000年)という本を読んで、感動しました。「ああ、僕が大事にしてきたことはインテグリティだったのかも」と、すごくしっくりきました。この本は、いまだに僕のバイブルです。
マーケティングは日々のコミュニケーションなので、テクニックよりスタンスが大事。『デジマはつらいよ』でも、テクニカルなことやトレンドより、マーケターとしての本質をどう上げるかにフォーカスして、お話を組み立てました。
ストレスのないページ表示速度は顧客体験の基本
――ページ表示速度のエピソード(シーズン2の8、9、10話)だけが、ちょっとテクニカルな感じでしたね。
中澤: 内容をテクニカルに書いたのは世の中に情報がないからですが、ページ表示速度を重視したのは、それが顧客体験の基本だからです。
マーケティングで重要なのは、小手先のテクニックやロジックではなく、顧客体験ですよね。ページ表示が遅いのは、店舗で生理的な不快感があるのと同じレベルの話なんです。ページ表示速度はもっとも基礎的な環境で、それが遅いとCRMだ何だと言っているすべての前提がなくなります。速度を語らずして、顧客体験は語れないぞと。
今、新しい技術や施策がどんどん生み出されていて、あれもこれもやった方がいいと思ってしまいます。けれどそれは枝葉で、本質的なことを先にやることが大事です。枝葉に手を広げすぎると、手間ばかり増えて生産性が落ちます。僕が、マーケティングでやるべきだと思っていることは、3つだけです。
その1つ目がページ表示速度。とにかく徹底的に速くしましょう。
機会損失はコミュニケーション不足で発生する
――2つ目は何ですか?
中澤: 2つ目は、機会損失を徹底的に削減することです。まだ買う気のない人に買ってもらおうとして、レコメンドに力を入れるより、買う気になっている人が何かの理由で買うのをやめてしまうという機会損失の削減にフォーカスすべきです。買おうと思っている人が買う気をなくす理由は何か考えて、いろいろ出てくると思うので、それを1つずつクリアしていきましょう。
たとえば、「買いたいものがあったけれど、初めてのお店で個人情報やクレジットカード情報を登録するのは、なんとなくいやだな」という人がいるかもしれません。それなら、Amazonペイメントを導入すれば、買ってくれる可能性が上がります。
あるいは、在庫情報の表示を工夫する。「在庫僅少」では、今買った方がいいのか、来月でもいいのか、判断できません。店舗接客では、在庫残り5点というとき、それが月に5点売れるものか、1日で5点売れるものかを、考慮してお客様に伝えます。
迷っているお客様に、「残り5点ですが、今すごく売れていて、明日にはないかも。次の入荷は未定です」とお知らせすれば、お客様は「それなら今買うよ」となります。在庫のお知らせ方法は、工夫次第で機会損失を削減できます。
機会損失は、コミュニケーション不足で発生します。つまり、データ統合とかMA(マーケティングオートメーション)とかレコメンドに手をつける前に、やるべきことがありますというのが2つ目。
3つのインセンティブを使い分ける
――3つ目は何ですか?
中澤: 3つ目は、お客様へのインセンティブをうまく使うことです。インセンティブには、会員ポイント、クーポン、電子マネーの3種類あります。
まず、何度も購入するECサイトなら、ポイントが有効です。ただしポイントは、初めてのお店や年に1度しか買わないものの場合は意味がありません。ポイントがついても、もう2度と来ないかもしれないし、次は来年かもしれない。ポイントの使い道がありません。
次にクーポンですが、多くのECサイトで購入後にクーポンを発行しますね。しかしこれも、次に買い物するのがいつかわからない、関係の薄いお客様の場合には、効果がありません。
そもそも、インセンティブを発行するのはなぜか考えましょう。買いたいと思っている人の背中を押すためですよね。「買う気のない人を買う気にさせる」ことは不可能ですから、そのためにインセンティブを使おうなどと考えてはいけません。
たとえば、カカクコム経由で来た人は、検討が深まって買いたい物がほぼ決まっていて、どのお店で買おうか迷っている人でしょう。そういう人の背中を押すにはどうすればいいか。関係が薄いなら、そのお店でしか使えないポイントやクーポンを購入後に発行してもだめです。
ここで電子マネーが役に立ちます。たとえば「今ご購入で、○○円分のAmazonギフトカードをプレゼント」とか。これは、値引きしているのと同じで、「それならこのお店で買おう」となります(汎用的な電子マネーではありませんが、Amazonで買い物をする際に現金と同様に利用できるので、電子マネーとして説明しています)。
実店舗の場合は相対(あいたい)値引きといって、店員さんとの交渉で値引きしてくれる場合がありますが、Webではそれが難しい。値引きと同じ効果があるのが、電子マネーによるインセンティブです。これが最初の入り口として有効に働きます。買ってくれたお客様には、次回の購入クーポンを発行すればいいのです。
Webサイトにいろいろな機能を追加していくより、この3つの使い分けに集中する方が、確実に売り上げが上がりますし、お客様にも喜んでもらえます。
マーケティングのベーススキルは、トレーニングしないとすぐに落ちる
――初めてのマンガ原作は大変でしたか?
中澤: おもしろかったですね。僕は元々、作曲家・編曲家として食べていこうとしていたんです。高校生くらいから、音楽をやっていました。社会人になってからも、ECサイトを立ち上げたり、サービスを生み出したり、プロダクトを生むという広義のマーケティングをやってきました。なのでマンガ原作も、同じモノ作りとして、さほど違和感なく取り組めました。
一般にマンガ原作の人は口頭でアイデアを伝えたり、箇条書きのような形で作ったりするということは知らなくて、てっきり、きちんと場面設定や台詞を書いて渡すものだと思っていました。シーズン1や2はほぼ脚本の形で原作をお渡ししましたが、それは原作をモノ作りと思っていたという理由なんです。脚本形式で作らないと自分で推敲できないので。
――20年以上、デジタルマーケティングに携わってこられた中澤さんにとって、マーケティングの一番のおもしろさは何ですか?
中澤: マーケティングは人間理解なので、どこまでいっても正解がない。だから飽きないです。
音楽も、人はどういう時に気持ちよくなるのか、感動するのかという人間理解です。人の心を動かすための道具が音楽でした。マーケティングも、その延長と言えます。
もう1つは、デジタルマーケティングの場合は、デジタルテクノロジーの変革スピードがものすごくて、飽きている暇がないですね。周期的に学び直さなければならないので。
僕は今でも、たまに現場の仕事をします。バナーを作ったりして、部下に「いいかげんやめてもらっていいですか」としかられたりします(笑)。僕はいろいろなところで「ベーススキルが重要」と言っていますが、ベーススキルは筋トレと同じで、トレーニングを怠るとあっという間に落ちてしまうんです。だから僕にとって、現場仕事に手を出すのは、ジムに行って筋トレするのと一緒です。
『デジマはつらいよ』で、虎さんがいつも筋力トレーニングしていますよね。あれの意図は、マーケティングのベーススキルは筋肉と一緒で、常に鍛え続けないといけませんよ、という意味なんです。マーケターは、管理職になろうが、CMO(最高マーケティング責任者)になろうが、どんなに役職が上がっても、ベーススキルのトレーニングはやり続けなければいけません。
広義のマーケターにシフトしよう
――最後にこれからのマーケターへ、メッセージをお願いします。
中澤: 一般的に、日本でマーケティングというとプロモーションというイメージが強いです。皆さんもコトラーを読めばわかりますが、マーケティングはお客様に対して新しい「価値」を生み出して、デリバリーするというのが本来の意味です。
現在、テクノロジーの混交によって、デジタルディスラプションなサービスがどんどん生まれています。既存のプロダクトの価値が急速に失われていく世界になっているので、新しい価値を作る役割の人間が、とても重要になっています。
現状では、新しい価値は米国や中国から生まれていて、日本からはなかなか生まれてこない。ですから、日本のマーケターは、本来の意味の、広義のマーケターの姿にシフトしていかなければいけません。そうしないと、日本経済が成長していきません。Web担を読んでいるマーケターの方々には、どんどん本来のマーケティング担当者の役割にシフトしていってほしいなと思います。
――ありがとうございました。
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