行動観察はユーザー自身も言葉にできないニーズを明らかにする。現場のコンテキストから提供価値を考える/大阪ガス行動観察研究所
このコーナーでは、UX(ユーザーエクスペリエンス)に造詣の深い人物や、UXを実践している担当者へのインタビューを通じ、さまざまな視点からUXのヒントを探っていく。
久保隅氏(大阪ガス行動観察研究所)にとってのUXとは?
お客様などの価値提供先の対象者だけでなく、提供価値を運用するさまざまな人々にもインパクトをもたらすことですね。単なる部分最適ではなく、その価値を一緒に運用していけるようなデザインが優れていると思います。
- 久保隅 綾氏
- 大阪ガス株式会社
大阪ガス行動観察研究所 主席研究員
人間が無意識に行う行動を観察し、Webサービスやアプリの改善に活用する。こうしたユーザー中心のデザイン手法は、Webの世界で広まりつつある。今回は、行動観察の手法がビジネスにどのように応用できるのか、行動観察活用について研究・開発を進める、大阪ガス行動観察研究所の主席研究員である久保隅綾氏に、行動観察とは何か、エスノグラフィーやUXとの関係、具体的な事例などについて教えていただいた。
普段意識していない潜在的な領域を掘り下げる
――まず行動観察手法とは具体的にどのようなものか教えてください。
大阪ガスの行動観察は、現場の観察からお客様の実態を捉え、商品やサービスの提供価値を作る手法です。サービス現場の生産性向上というテーマもあり、たとえばお客様向けのショッピングの新しい経験や価値を作るためにショップ(店舗やWebサイト)の導線を改善したり、優秀な営業マンに同行したりして、お客様とのコミュニケーションノウハウを見える化するといったことを行います。
行動観察では人がどのように行動するのかを見ていくので、現場のフィールドワークから背景や文脈、文化的特性を捉えるという点で、エスノグラフィック(民族誌学的)な視点を導入していると考えていいと思います。
――ところで、なぜ大阪ガスは行動観察を始めたのですか。
よく聞かれます(笑)。行動観察研究所の所長である松波は、新しいビジネスを作るには現場の課題解決が重要だと考え、米国のコーネル大学でサービスサイエンスや心理学・人間工学などを学び、行動観察研究所をスタートさせました。
当初は家庭用ガス機器の使いやすさ、ユーザビリティの研究からスタートし、大阪ガスがお客様に提供する「サービス」の質を高めるため、サービスサイエンスに取り組み始めました。
無形のサービスは、勘と経験で行われ、人と人の間で授受されるので、実際の現場を見ない限りどのように提供され、どのように受け取られているのかわかりません。そこで、現場を観察して事実のデータを収集し、人間に関するさまざまな知見を活用しながら解釈していこうというのが、当社の行動観察の始まりです。
――人の行動を解釈するには、どのような方法があるのでしょうか。
「人間工学」であれば、可動域やどの位の重さを持てるかといったこと。「環境心理学」なら、暑さや寒さに対する反応など環境による行動の変化など。「社会心理学」なら、対人コミュニケーションの方法や効果などがあります。そうした知見から得られた解釈から新しい提供価値を作り、実現させるためのアイデアやソリューションを考えていきます。
――現場の行動からでないと見えてこないことはありますか。
人間には「こういう風にしたい」という意識と、実際の行動が矛盾することってありますよね。これには顕在意識と潜在意識が関係しています。アンケートやグループインタビューで聞けることは、顕在化している領域の情報です。行動観察では具体的な行動から、普段意識していない潜在的な領域を掘り下げ、課題全体の構造や実態が抱える背景や文脈を複合的に捉えていきます。
現場の実態を観察することで言語化できない課題が見えてくる
――具体的な事例を教えて下さい。
当社自社ビルの空調システム改修の際に、ガス空調やガスコージェネレーション(ガスを利用した発電から電気と熱を取り出す)システムなどのハードウェアや運用面だけでなく、オフィス利用者の行動を調査し、「空調利用に関するデザインを考える」というプロジェクトを行いました。当社のエンジニアリング部が主体となって進めたプロジェクトで、真夏のエネルギー利用が多い日に、ビル内でどういう人たちがどのように働いているのか、暑さに対してどのような行動をしているのか、全フロアで調査しました。
オフィスを1日通して観察すると、時間帯による違いが見えてきました。まず始業時は、出社によって社員が熱を持ちこむので室温が上がるため、うちわであおぐ、卓上扇風機のスイッチを入れるといった行動が起きます。次に、営業員などの外勤者が出かけると、今度は空調が効きすぎて女性社員がひざ掛けを使います。セントラルヒーティング(空調の中央管理システム)なので、自分たちで空調を制御できないんですね。そして夕方に外勤者が戻ると、再度持ち込まれた熱によって室温が上がり、また暑さに対する行動が出てきます。この観察から、時間帯やエリアによってピンポイントの温度調整が必要ということが見えてきました。
次に、空調に関するステークホルダーとして、設備管理者、総務担当者、オフィス利用者にインタビューを行いました。すると、それぞれが良い空調環境を保つのために各々配慮していることがわかりました。たとえば、内勤者は外勤だと暑くて大変だから、外勤者に合わせて少しくらい寒くても我慢しようと思っていたり、空調のオペレーション側は、クレームが出ないよう、やや強めに空調温度設定していたりすることがわかりました。
この調査の結果、空調のオペレーション側と利用者間で、現場の空調温度設定について適切なコミュニケーションができていないという課題が見えてきました。そこで、利用者が空調管理に参加できるシステムへと改修するため、利用者とのコミュニケーション方法と、温度設定に関するフィードバックの方法を技術部門と共に、先行研究なども参考にしながら検討しました。
具体的には、自席のエリアの空調温度を表示し、暑い・寒いという意見を投稿できるようにしました。すると、空調に強い要望がある人も、言いにくい人も、それぞれ投稿することで意思表示しやすくなりました。また、人間は他者の意見を知ることで自分の意見を調整したりするので、みんなにとって納得感のある室温になっていくんですね。空調環境を個人の要求に合わせることで、みんなにとって不満のない環境を作ることができました。
また、天気予報に“ビール指数”という「今日は残業しないでビールを飲みに行くといいんじゃないですか?」とお知らせするなど、空調やエネルギー利用を身近に感じ、積極的なコミュニケーションへつながる工夫や施策も行いました。
――観察によって見えてきた課題に対し、解決策を探っていくんですね。他にも事例を教えてもらえますか。
海外で調査をした事例で、以前「1980年代生まれの中国人女性のライフスタイル」について調査しました。そのなかで、インターネットやパソコンの利用についても調べました。日本人は、パソコンデスクというと普通に机と椅子を思い浮かべますが、中国で実際に行動観察を行うと机と椅子を使う人は少なく、多くのパソコン利用時間はベッドの上で、「ベッドの上に置けたり、ベッドの上で利用できるパソコンデスク」が最適だということがわかりました。
1980年代生まれの中国人女性は、仕事を終え帰宅すると、インターネットを通じた友だちとのコミュニケーションや情報収集に時間を費やします。それも狭い居住空間のなかでリラックスしながら行いたいという希望がある。そうすると、軽くて可搬性があってスペースをとらないものになっていきます。
お客様に「どんなパソコンデスクが欲しいですか?」と聞いても答えは出ません。実際に現場に行って、対象者が上手く言語化できない潜在的な領域も含めて捉え、形作っていきます。
それに、人に言いたくないことや言いづらいこともありますよね。たとえば、「今朝歯磨きしてこなかった人は手を挙げてください」と質問しても手は挙がりません。そういった言いたくないようなことや社会的正義に反することなど、対象者自身が言語化できない課題を捉え、背景や文脈などから提供価値を考え、実現できるような具体的なデザインを作っていきます。
――それってUXの手法そのものですよね。UXと行動観察の関係について、どのように考えていますか。
実態に基づいてお客様の体験や価値を作っていくということは一緒だと思います。行動観察研究所では、対象の人たちがハッピーになるような新しい価値を体験を通して提供したいと考えています。さらに、お客様だけでなく、実際に価値を提供したり、運用したりする側の人も含め、関わるすべての人たちに新しい価値や体験を提供することを考えています。
本質的な課題をつきとめ、具体的なソリューションを考える
――行動観察の際、調査内容の設計はどのように行うのですか。
ビジネスをデザインする場合と、現場の何かを改善する場合など、ゴールにより違いますし、時間軸によっても変わりますが、基本的には課題とゴールに従って設計していきます。たとえば、既存カテゴリの次機種や新商品を開発する場合は、現在の使用現場や行動を中心に見ますし、将来の方向性を決める場合は、もう少し広範囲に対象者の価値観やライフスタイルにまつわることも含めて模索します。
――情報を分析する際、決まった手法はありますか。
デザイン思考ですね。現場で発見した事実や実態から洞察を得て、具体的にどのような価値を提供していったらいいのか、これまで提供していた価値や経験を、今までの枠組みを外して考える、すなわち“リフレーム”する。新しいデザインの方向性を具現化する具体的なアイデアを抽象的なところから考えていきます。
現場に行って課題を発見すると「こういうソリューションがいいのでは」と、すぐにアイデアが浮かんだりもしますが、それは一時的な“ばんそうこう”的ソリューションになりがちです。お医者さんが診察するように、なぜ出血したのか、それは外科の治療が必要なのか、それとも内科なのか、入院が必要なのか、薬だけで治るのか、患者さんの状態によって判断していく。具体的な事実から抽象的に考え、本質的な課題や原因をつきとめてから、具体的なソリューションを考えます。
――行動観察研究所で、依頼の多い業種や業態はありますか。
これまで400件以上の調査を行っていますが、本当にさまざまな現場があります。商品開発もありますし、営業行動の改善や店舗の設計、Webサイト、ビジネス自体のデザインなど、バラエティに富んでいます。
――Webサイトの行動観察は、ユーザービリティの話になるのでしょうか。
お客様の課題によります。UIの改善だけでなく、Webを介した新たなエクスペリエンスの提供であれば、そういった観点から考えていくので、単純な画面の話ではなくなりますよね。たとえば、どういうハードと組み合わせるのか、どのような時間や場所で使用するのかと、Webサイトにかかわるすべての文脈や環境などから考えていきます。
カスタマージャーニーのプロセスを見る
――久保隅さんがユーザー目線で優れていると感じるWebサイトはありますか。
デンマーク政府のWebサイトは、ユーザビリティやインターフェイスだけではなく、サービス提供の概念がUXとして優れていると思います。
デンマークでは市民に電子IDを発行していて、政府Webサイトから行政サービスをワンストップで提供しています。たとえば、日本で引越しする場合は、役所に出向いて住民票を変更しなければいけませんが、デンマークではWebサイト上で済んでしまいます。さらに、デンマークでは自宅近くに“かかりつけ医”を登録する制度があるのですが、Webサイト上の医療機関情報一覧から登録ができます。
このデンマーク政府Webサイトは、統計データをもとにサービス利用者のペルソナを作成してあり、そのペルソナに合わせて行政サービスの提供方法や具体的なサービスプロセスについて顧客経験、すなわちカスタマージャーニーが考えられているんですね。たとえば、住宅や保険や教育など、アクティビティごとに手続き情報が分類されていて、それぞれに必要な項目が表示される。さらに利用者だけでなく、提供者側のバックオフィスの効率化にもつながっているそうです。
――海外での調査はよくあるのですか。
先ほどのパソコンデスクの他に、中国人観光客の日本旅行に関する調査を行ったことがあります。日本が行う中国人観光客誘致政策の調査は、宿泊や移動といった断片的なプロセスしか見ていないケースがあります。でも旅行って、目的からプランニングして、移動や食事、ショッピングなどのアクティビティがあって、帰ってきて友人にお土産を渡してクチコミをするといった一連の流れがありますよね。我々はそういう観点から、中国人観光客がどのように旅行をプランニングし、旅行中に滞在をして、クチコミをするのかという一連の行動観察調査を行いました。
中国人の旅行をカスタマージャーニーのプロセスで見ていくと、彼らは自分の買い物より、お土産にお金を使っている事実が見えてきました。富裕層であれば、お土産に数十万円使うことも珍しくありません。旅行前のプランニングでショッピングリストを作る人が多く、どのメーカーのどの商品をだれに何個買うといった情報が具体的に書かれています。それらの商品は、価格.comなどのサイトで最安値まで調べてあります。ですので、中国人観光客の誘致政策には、旅行前のプランニング段階からの関与や情報サービス提供が肝になります。
先ほどのデンマーク政府の例も同様ですが、利用者の実態をカスタマージャーニーの視点から見ていって事実を洗い出し、利用者は何をどのようにしたいのか、重要なアクティビティはどこなのか、どのように訴求すればいいのか理解する必要があります。
新しい価値を取り入れるには既成概念のリフレームが必要
――企業が新製品・サービスを企画する際には、今までにない新しい体験を考えることが必要なケースが多いものです。まだ形のないカテゴリから新しい体験を生み出したい場合、行動観察ではどのような取り組みが可能ですか。
新しいか新しくないかの判断は、今ある現場が起点になりますよね。現場から既存の価値を定義していかないと、新しい価値の定義はできません。実際の現場で、ユーザーは何を当たり前に思って行動しているのかという実態を踏まえてから、新しい価値を探っていくべきだと思います。
――既存のニーズや課題を洗い出すことが、この場合の行動観察になると。
そうですね。そこをきちんとしないで新しいものを考えると、実態に合ってなかったり、意外と新しくなかったりする(笑)、ということが起きます。実は既存の価値って、「こうあるべき」と思い込んでいるケースが多いんです。
企業側は、たとえばガスコンロは料理のためとお客様への提供価値を定義していますが、新しい価値を取り入れるにはその既存の価値を再定義すること、すなわち“リフレーム”する必要があって、まずは提供している価値や自社が保持している経営資源の認識が必要です。新しい価値提供のためには、さまざまな既成概念をリフレームしていく必要があります。
――行動観察は、そういった既成概念の枠組みを排除できる取り組みになりますか。
枠組みを見極めるには「どういう思いで今の価値を提供しているのか」を把握したうえで、実際の現場を見てギャップを捉えていきます。
以前、紀伊国屋書店様と「お客様と本の出会いを増やす」というプロジェクトを行い、お客様とサービス提供者側のミスマッチが現場にあることを発見しました。本棚に書店員さんが書いたポップが貼ってあるのですが、該当する本から少し離れた場所にポップが設置されていたんですね。お客さんの行動を観察していると、ポップを見てもその本が見つけられない。
書店員さんに、なぜ離れた場所にポップを設置するのか聞いてみると、「ポップが近くにあるとお客様が本を取りにくい」と考えていらして、本棚から本を取りやすくするためにポップを離していたんですね。書店側は、お客様と本の良い出会いを考えて、ポップを離して設置するというソリューションを導入していましたが、お客様側は本を見つけにくくなっている。書店には「本の取りにくさを排除するべき」という既成概念があったので、そこをお客様の視点から一緒に再検討して、本とお客様の関係を改善しました。
既存の枠組みだけで捉えず、自分たちごと化することが成功の秘訣
――「顧客は課題がわかっていない」というような常套句がありますが、そのようなケースはありますか。
お客様がわかっているかどうかより、お客様ってこういうものだという提供者側のフレームが、そういう常套句を生み出しているのだと思います。たとえば、この機器はこう使うべきだとフレームしていたら、そのなかでしか観察しませんよね。それでは現在の機器の改善しかできない。新しい価値を探し出すためには、利用する人たちがどういう生活をして、どういう価値観を持って、どうなりたいのかをわかっていないとならない。
――顧客と一緒になって価値を作ることはありますか。
提供価値をデザインするには、だれのために何を作るのか、どんな課題があるのかが重要で、ここがないまま進めてしまうと、関係者がそれぞれ違う課題を考えてしまう。お客様の実態に基づいて、だれに何を、何のために提供するのかを共有しておくと、ブレずに有機的な意思決定ができます。
その意思決定ができていないと、何のための開発なのか、そもそもなぜやるのかといった疑問が出て、なかなかうまくいきません。実際にお客さんと一緒に進めることで、関係者間での食い違いが減り、コミュニケーションコストや開発コストも下がると考えています。
――久保隅さん自身が思う優れたUXとは何でしょうか。
お客様など、価値提供先である対象者だけでなく、提供価値を運用する側にもインパクトをもたらすことですね。単なる部分最適ではなく、その価値を一緒に創出し、運用していけるようなデザインが優れていると思います。関係者間でなかなか利害関係が一致せずに難しいところもありますが、そこは意思決定が必要だと思います。
――良いUXを提供するためのTIPSを教えて下さい。
自分が持っている仮説や既成概念をいったん置いて、フレッシュな気持ちで価値提供の現場を観察する。当事者意識や問題意識を持ち、「自分ごと、自分たちごと」にするのが成功する秘訣だと思います。だれかにやらされていたり、他人ごとだったりするとモチベーションが上がらないけど、自分ごととして実態を見ていくと、当事者意識や問題意識を持てるんですね。
実際にクライアントと一緒に行動観察すると問題意識を持ってくれて、「こういうことがあったのか」と、より文脈的に理解してもらえる。すると、何をどう解決するべきか優先順位が付いたり、新しいアイデアやビジネスが生まれたりと広がります。まずは、現場との接点を作っていただくといいと思います。
――これから行動観察を始めたい方にアドバイスをいただけますか。
あまり大きく構えずに、小さなステップでスタートしていく方法がいいと思います。目の前にある課題を解きながら、自分たちとしてはどういう解き方がいいのか考えていく。どうしても正解を求めてしまいますが、100点を取ることだけが成功ではありません。新しい価値の提供を考える場合には、正解や解決方法は複数あります。優れたUXを作るという意味では、目の前にある課題を小さく解いていって、小さくてもインパクトを出しながら進めていくと、良い価値の提供に近づく。まずは自分たちがすぐに取り組めることからスタートするのが有効だと思います。
今回久保隅氏に聞いた行動観察の取り組みは、UXについての実践的な考え方と方法論であった。
お客様の声が大きい場合に“ばんそうこう”的なソリューションになってしまうことは、多くの企業でよくあることだろう。お客様の声に耳を傾ける際、久保隅氏の言う「根本的な原因をつきとめて、そこを抽象化してからソリューションを考える」という方法は、企業がUXデザインに取り組む際のヒントになるだろう。また、個人として取り組む際には「仮説や既成概念を置いて、現場を観察する」というところを、ぜひ参考にしていただきたい。
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