井上大輔さんの新著『マーケターのように生きろ』(東洋経済新報社)が話題です。
企業のマーケターを読者層とするMarketing Nativeとしても、「マーケターのように生きろ」と言われたら、興味を惹かれないわけにはいきません。一体どのような内容なのか。タイトルに込めた真意は?
早速、井上大輔さんに話を伺いました。
(取材・文:Marketing Native編集部・早川 巧、写真:豊田 哲也)
100万人に1人になれなくても、カッコいい生き方はできる
――タイトルに「マーケター」とありますが、マーケティングの教科書的な内容ではないですし、異色の本ですね。執筆の動機から教えてください。
ひと言で申し上げると、「自分がやりたいことではなく、最も多くの人が自分にやってほしいと思っていることをやろう」という提案です。よく「自分が本当にやりたいことをとことん追求しよう」と言われますが、その考え方が自分には向いていないと思う人は私を含めて少なからずいるのではないかと思います。そういう人たちに対して「生きる指針」と言うと大げさですが、1つの処世訓というか、生きる上で背骨になるような考え方を形にして、皆さんにご提示できないかと考えました。
――やりたいことを追求するのは良くないのでしょうか。
良くないとは全く思いません。自分の好きなことをやり続ける考え方も大切だと思います。ただ、自分が価値を提供することで社会から認められて感謝され、対価も頂ける状態になるには、最終的に多くの人を喜ばせられるレベルに達する必要があります。そんな人は果たしてどれくらいいるかというと、確率的にかなり少ないのではないでしょうか。100万人に1人、あるいは1000万人に1人のレベルかもしれません。
「やりたいことをやり続けるのがいい」という考え方は100万人に1人を生み出す理論であって、「残りの99万9999人はどうすればいいのか?」という疑問に対する解がこれまで示されてこなかったのではないかと感じます。そんなモヤモヤした問題意識がずっと意識の根底にありましたので、自分が1つの解を示したいと考えました。
――その問題意識は、かつて井上さんもミュージシャンを目指してかなわなかった経験から来ているのですか。
それも1つあります。もう1つは、なるべく自分を出さないようにしつつ人の期待に応えることを意識し始めてから幸福度が上がったという実感があるからです。そこで、どうすればもっと人の期待に応えられるのかを時間をかけて考えた結果、再現性のある一種の処世訓ができたため、書籍としてご提示しました。
――いつ頃からそんなふうに考えていたのですか。
4~5年前から少しずつ感じていたのですが、はっきりと意識し始めたのは3年ほど前のことです。田端信太郎さんが『ブランド人になれ!』という本を出版されて、私も影響を受けて本格的にTwitterを始めました。初めは自分という個を出しながらしばらくTwitterを続けてみたのですが、どうもしっくり来なくて、この我を前面に出すアプローチは自分には合わないと感じ始めました。
――井上さんには2万8000人もフォロワーがいるのにですか。
そこで感じたのは、自分がやりたいことをやってブランド人になれる人と、人に求められることをしてブランド人になれる人の両タイプがいるということです。私は天才ではないので前者ではなく、たくさんの方にフォローしていただくためには、自分の好きなことではなく、人に喜んでいただけることをツイートし続けなければならないのだと明確に気がつきました。それまで何となく意識してきたことを、あらためてはっきりと言語化できたのです。
以前かなり反響を呼んだ「つんく♂」さんのnoteには、『とにかく「好き」を追求しよう』として、自分のやりたいことを突き詰めることの大切さが書かれています。ほかにも、1つのことを1万時間続ければ芽が出るという「1万時間の法則」を唱える人もいます。それはそれで間違いなく正解だと思うのですが、同時にその方法で成功するのはやはり100万人に1人ではないかとも思います。
もちろん、100万人に1人を生み出すシステムも社会に絶対に必要で、その1人が世界を変えて、みんなを幸せにしてくれるのは間違いありません。しかし、それは圧倒的多数の人がそうなれないから、1人が突き抜けられるのであって、100万人に1人を生み出す理論だけでは残りの人は幸せになれないかもしれないと思うわけです。それなのに世の中の自己啓発論のほとんどは100万人に1人を生み出す方法を成功者が説いていると感じます。誰か1人くらいは残りの圧倒的多数を幸せにする方法を考えてもいいのではないでしょうか。執筆のモチベーションはそういう考えから来ています。
――素直にうなずけないですね(笑)。「自分は100万人に1人ではない」という残酷な事実を受け入れられない人も多いと思います。
そうですよね。ただ、私が主張したいのは「100万人に1人になれなくても、カッコいい生き方はできるんだよ」ということです。両方とも価値があるし、むしろより多くの人を幸せにできるのは99万9999人のほうだと思います。にもかかわらず、「自分の好きなことをやって何者かになれ」的なノリばかりが語られるのはもったいないですし、そうなれなかった人にも同じくらい価値のある生き方はできると伝えたいですね。
――「好きなことをとことん突き詰めろ」という成功者の考え方にある種、踊らされているところもあるのですかね。
踊らされているということではなく、要するにポエジーというか、詩心の世界ではないでしょうか。「夢を貫け」のようなメッセージはエモいし、物語になりやすくて、心が躍り熱くなる要素が多分に含まれています。一方、私が言う「人のために働きなさい」という考え方は、説教臭くて昭和っぽいと思われがちです。そこを今の時代の中で、昭和っぽく受け取られないように気をつけながらうまく伝えるのが大事だと考えています。
――それが本に書かれていた「ホールネス」(※)の考え方ですか。「人のために貢献する」というと、どうしても昭和時代の発想に逆戻りと感じる人もいると思います。滅私奉公的な発想と井上さんのホールネスとの違いを教えてください。
そもそも昭和時代の人々が不幸だったかというと、そんなことはなく、むしろ幸せだったと感じる人もたくさんいるでしょう。私も昭和の生まれですが、やはり幸せな時代だったと感じますし、ハンコ文化などの古臭い制度は早くなくなればいいと考えつつも、昭和の全てを否定するつもりはなく、いいところも沢山あったと思います。
※ホールネス:
全体性の意味。社会が個人を成り立たせ、個人が社会を成り立たせるとする考え方で、全体主義の昭和、個人主義の平成を経て、令和はホールネスの時代になると井上さんは予測している。
その上で、昭和との違いを1つ示すとすれば、会社や組織からの指示を何でも受け入れるのではなく、自分が最も貢献できるフィールドを能動的に見つけだせることです。人が自分に期待していることは何かを理解し、同時に自分がそこに最大限貢献できるようなレベルに達するのは言うは易く行うは難しです。「組織のために貢献しろ」と言われると、イコール「会社への滅私奉公」と思考するのが昭和の考え方だと思いますが、別に会社に限定する必要はありません。本には「市場の定義」と書いたのですが、自分がどの集団に奉仕するかを能動的に選び、そのフィールドで自分に求められている価値を見つけて最大限に発揮し、組織に問いかけていく。そういう双方向性のコミュニケーションが昭和の全体主義とホールネスの違いです。
若い世代の方と接していると、「社会のために働きたい」「社会に貢献したい」という声を聞く機会が多くあります。そういった意識が広がっているのではないかと感じます。
人の期待に応えることで磨かれる「個性」もある
――圧倒的多数派が自分らしい貢献の仕方を見つけるのに役立つのがマーケティングの考え方だとして、本には「市場を定義する」「価値を定義する」「価値をつくりだす」「価値を伝える」という4つのステップが示されています。この方法をベースにして、人が自分に期待していることの中から価値を最大限に発揮できるテーマを見つけ、貢献するのがいい、と。
人が自分にやってほしいと思っていることは、いっぱいあると思います。その中で自分が最も社会、世間、組織に貢献できることを選べば、それはもう立派な「個性」です。例えば私は音楽が好きですが、音楽の世界では貢献できませんでした。
一方で、ビジネス上の学びをエモいタッチでnoteに書くと反響があります。だからそれがきっと、みなさんが私にやってほしがっていることなのだと理解しています。でも、本当のことを言うと、私は別にエモくビジネスを伝えたいわけではないのです。
――そうなんですか。それが井上さんの売りだと思っていました。
文学は好きなのですが、誰も私に小説を書いてほしいとは思っていないでしょう。ただ光栄にも、何人かの人は私がエモくビジネスを語ることを望んでいると感じます。気がつけば、それが他の人にはなかなか出せない、自分ならではの個性になっていました。エモくビジネスを語りたい欲求が自分の中にあるわけではないので、最初はそんなことになるとは想像もしていませんでした。
――そこに葛藤はないのですか。「なんか違うんだよなあ」「自分を偽って生きているよなあ」みたいな。
ないですね。それが自分の哲学であり美学だからです。人に求められていることで自分の力を発揮するという。
――妥協ではなく、ですか。
妥協ではありません。美学、哲学、もっと言うと信仰にすら近いと思います。ただ、そう言うと胡散臭く受け取られがちなので、「生き方」「生きざま」と表現をしますが、自分の中では美学であり、思想、哲学、処世訓のように考えています。
なぜ思想のように掲げることに意味があるのかというと、現代を生きる人の中に何を信じて生きればいいのか、判断基準のないことが不安や迷いを生じさせていると思うからです。
昭和の時代には「年功序列」や「欧米に追いつき追い越せ」のような価値観、指針などが明確に存在しました。もっとさかのぼれば、儒教や武士道などもそこに当たると思います。
それが平成になり、令和になって崩れ、「データ」や「論理的思考」が大事という話になるわけですが、データや論理で物事の良し悪しが判断できるかといえば、必ずしもそうは思いません。例えば、五輪を開催すべきかどうか、データと論理で考えても、「開催すべき」と「すべきではない」の両方の答えがいずれも完璧なデータとファクトとロジックで語れてしまうと思います。
結局、何を基準に物事を決めるかというと、データや論理ではなく、明確な方針や価値観、思想、哲学、ディシプリン(規律)であり、個人としては生き方になるのではないでしょうか。そこがしっかりしていないから、断定口調の言説、極端な場合は陰謀論などに流されてしまいがちなのだと思います。自分の中に美学や哲学を持っていないから生き方に迷いが生じ、知らず知らずのうちに誰かに決めてもらうことを期待してしまうわけですね。
鋼のメンタルより、柳のしなやかさを
――井上さんが1on1などで若い世代と接するときに、個人の美学や哲学の欠如が悩みや迷いの要因の1つになっていると感じることはありますか。
ありますね。精神的な安定性について言うと、心が強い人なんて多分いなくて、いるのはストレスを上手に受け流すことができる人。ストレスを受け流せる人と受け流せない人の違いをひと言で表すと「考えすぎないこと」だと思います。例えば、起こったことを反省はしても、必要以上に考えすぎない。あるいは起こってもいないことをくよくよと考えない。悪いループに入って心が病んでしまう人は、起きたことの中でも明るい面と暗い面があるのに、暗い面だけを見て思考を変なふうに深めてしまう傾向があると感じます。
だからメンタルが強い人の特徴の1つは、起こっていないことを心配しすぎず、起きたことを必要以上に気に病みすぎないしなやかさです。鋼のメンタルではなく、柳のしなやかさ。力を受け逃すしなやかさが大切です。
なぜ柳がしなるかというと、柔らかくしなやかな枝に対して、起点となる幹や根っこがしっかりしているからだと言われます。ストレスを受け流して、しなやかな人生を送るために起点となるのが美学や哲学、思想、処世訓です。もし生き方に迷っている人がいるのであれば、私が示した4つのステップはある程度実効性と再現性がある体系立った処世訓、思想として、不確実性の高い時代をしなやかに生きるために活用いただけるのではないかと期待しています。
――4つのステップの最後「価値を伝える」には社交性に加えて、自分をアピールする必要があるとのこと。ここにハードルを感じる人も多いと思います。
社交性にもいろいろありまして、人の期待を感知する能力は必ずしも対人コミュニケーションを伴うものではありません。ただ、外せないのは打席に立つ数です。人が自分にやってほしいと期待していることを感じるには、仮説と検証のトライアルを何度も繰り返す必要があります。例えば、私のnoteやツイートもたくさん発信して読み手の反応を見ながら調整を重ねてきました。これは対話ではありますが、対人コミュニケーションは伴いません。
だから対話といっても、直接口頭で交わす方法もあれば、文章の形にしたり、写真で見せたりといろいろな手段がありますから、途切れさせないように数を打つことを意識しながら、その人が一番心地よいやり方でやればいいでしょう。
――数多く自分をアピールすると、批判や中傷など何かと返り血を浴びる可能性もあり、耐えられない人もいるのではないかと思います。
自分が価値を届けるべき層はどこか、自分が幸せにしたい人は誰かが定まっていれば、基本的にはその人たちの反応を見ていればいいと思います。先ほども言いましたが、全ての物事には明るい面と暗い面があり、ポジティブな反応は明るい面、ネガティブな反応は暗い面です。そうした暗い面を全く気にしないのは難しいかもしれませんが、自分が価値を届けるべき人たちにしっかりと価値を届けて、そこに意義を感じてもらえるのであれば、もともとはそれが目的なのですから、努めてそちらの明るい面に目を向けていれば良いと思います。
運を引き寄せるために大切なこと
――井上さんは有名企業のマーケティング責任者をいくつか経験しています。「最初はお荷物社員だった」とのことですが、自分のキャリアを上げるために意識してきたことは何ですか。
それもやはり、自分がより必要とされるようになるにはどうすれば良いかを考え続けることです。転職にあたっても一貫して「より貢献できるのはどちらか」を判断基準にしてきました。転職先の企業も、貢献度の高い人に入社してほしいわけで、「私はこれがやりたいんだ」という人は、余程の人材でないと求められないはず。だから自分が価値提供して相手に貢献できることは何かを考えるのは、転職にも役立つと思います。
あとは運も大きいですね。
――運も相手への貢献を意識することで引き寄せてきたのですか。
運に関しては、また違う軸の話で、運を引き寄せるには2つの考え方があると思います。人生は配られたカードで勝負するしかありません。配られるカードの良し悪しに個人差はあり、その点では公平ではないかもしれませんが、予測不能に配られるカードから1枚を選択し続ける、という条件は同じです。能動的に差をつけられるとしたら2つで、1つはカードの選択の一貫性。どのカードを切るかの選択は適当にもできますが、しっかり考えて一貫性を持たせることもできます。
例えば、『マーケターのように生きろ』の版元である東洋経済新報社さんとは、もう何年も前にとある立食パーティーで、書籍とは全く別の業務の担当者さんと名刺交換したのが最初の出会いです。もちろん、初めから本を出すことを考えてその方と名刺交換したわけではありません。しかし、そのときのカードの選択が少なからず現在に結びついていることは確かです。
つまり、「こうなっていればいいな」「こういうふうに自分の力を発揮したいな」と考える未来を思い描いて、そこに向かって丁寧にカードを切り続けることが、運を引き寄せる1つの方法になると思います。もちろん、カードの選択だけで望む未来が100%手に入るわけではありませんが、毎日さまざまな選択を膨大に行う中で、一貫性を持ってカードを切る人と、あまり何も考えないで選択する人とでは、相当大きな差がつくはずです。
いつも1on1で言うのは「5年後、10年後の一番わくわくする未来を思い描いてみて」ということです。綺麗事ではなく、例えば「5年後にフェラーリに乗っていたい」でもいい。それがわくわくするかどうかが重要で、なぜならわくわくする未来は頭の中に常駐していて、カードを切るときに選択の基準になるからです。深く考えすぎる必要はありませんが、未来の像をイメージして、そこに向かって一貫性を持ったカードの切り方を続けるのが重要だと思います。
――もう1つは何ですか。
配られるカードの質と量を増やすことです。人と会うことや意識をオープンに保つことで、配られるカードの質と量は増えると思います。
人と会うのはシンプルですが、有益です。今はコロナウイルスの影響で難しいと思いますが、私の尊敬するマーケターさんの中には毎日のように飲みに出かけていらっしゃる方もいます。しかも自分にとってメリットのありそうな人とだけ会食するわけではなく、いろんな人との出会いの可能性をオープンにしています。そういう出会いのオープンネスがカードの質と量を増やす1つの方法だと思います。
――最後の質問です。『マーケターのように生きろ』と言う井上さんが考える、良いマーケターの定義は何でしょうか。
ひと言で言うと、思考を相手からスタートできる人です。相手を深く知り、全て相手起点で考える。そこから自分ができることを掛け合わせたり、相手の納得を得たりしていくわけですが、良い悪いではなく、まず相手からスタートするか、自分からスタートするかが分岐点になると思います。
――それは御用聞きではないのですか。
御用聞きではありません。御用聞きとの違いは、相手が自分でわかっていない期待にも応えなくてはならないということです。求めているものが何か、相手もわかっていないかもしれないので、相手より深く相手を知る必要があります。それくらい深く相手に入り込んで期待に応えることが、「自分がやりたいことをやればいい」という天才型とは異なる、マーケターのすべきことだと思います。
――本日はありがとうございました。
Profile
井上 大輔(いのうえ・だいすけ)
ソフトバンク株式会社 コミュニケーション本部 メディア統括部 統括部長。
ミュージシャンを志すも挫折。小さな広告会社でプランナーの仕事を始める。当初は仕事のできないお荷物社員だったが、マーケティングの英知から学んだ「仕事とは人の役に立つこと」という思想に目覚めて以降、仕事に限らずあらゆる場面で「必要とされる」ようになる。以降ニュージーランド航空、ユニリーバ、アウディジャパンなどでマネージャーを歴任。ヤフー株式会社MS統括本部マーケティング本部長を経て現職。著書に『たとえる力で人生は変わる』(宣伝会議)など。
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