現役僧侶が営む「坊主バー」。訪日客8割超えの中で挑む、言語の壁を越えた体験コンテンツの届け方

僧侶が運営するバーとして、2000年9月に新宿区荒木町にオープンした「坊主バー」。仏教をカジュアルに伝えることをコンセプトとしており、オープンから24年が経過した現在は、訪日客が8割を超えるという。言語の壁があるなか、どのように説法を伝え、顧客の体験価値を高めているのか。坊主バーのオーナー・藤岡善信氏に聞いた。
写経や説法を通して、仏教に親しめるバー
仏教を広くカジュアルに伝える場として誕生した坊主バー。浄土真宗本願寺派を信仰する藤岡氏が運営しているが、他宗派の僧侶も含め7人ほどのスタッフが在籍しており、お酒を飲みながら誰もが気軽に仏教に親しめるという。
店内は仏壇や天井に貼られた写経などが独特な雰囲気を醸し出しており、「極楽浄土」や「愛欲地獄」などの名前が付いたオリジナルカクテルや精進料理が提供されている。


坊主バーならではの体験も複数用意されている。1日2回(おおよそ21時と22時30分)実施する「お経と法話の法要」と、書道でお経を書き写す「写経」は創業当初から提供しており、訪日客を中心に高い人気を誇る。

1回1000円で実施している「入棺体験」もまた、特別な体験として話題を呼んでいるとか。お棺の中に入った状態で、お坊さんに御経を呼んでもらう体験で、時に涙する人もいるという。
10分ほどの短い体験ではあるのですが、「生きていることを改めて大切に思うようになった」といったコメントをいただくなど、“生と死”について考える機会になるようです。海外の方も多く体験されています(藤岡氏)
通常のバー営業だけでなく、御経を音楽で伝えるライブや和菓子などを作るワークショップと法要をセットにしたイベントも時折開催。こちらも予約チケットが完売する人気ぶりで、多くの人が参加しているそうだ。
現在は訪日客が8割超え、課題は「言語の壁」
こうしたユニークな体験を求めて、国内外から日々多くの来客がある。現在の来客層をたずねると、訪日客がほとんどで中でも中国からの客が目立つという。2024年7月に日本政府が中国人向け個人観光ビザの発給条件を緩和したことが関連しているようだ。その他にも、台湾や香港、欧米など幅広い国・地域から来客している。

訪日客は10年ほど前から訪れるようになり、増加傾向にあります。来店された方がその様子をSNSに投稿したり、知名度の高い海外メディアで紹介されたりしたことが主なきっかけです。海外のインフルエンサーの方も多数来店しています(藤岡氏)
仏教を深く理解するまでは至らずとも、実際に手を動かして写経したり、独特な雰囲気の中で僧侶との会話を楽しんだりするだけでも十分に特別感を味わえるとして、広く人気を集めているようだ。
といっても、せっかく来店してくれたからには、「仏教の学びを持ち帰ってほしい」のが藤岡氏の本音。自身もスタッフも英語を学んで、説法を英語で伝える努力をしている。しかし、仏教用語を含む説法を誰もが理解できる単語に言い換えて伝えるのは難易度が高く、非常に苦労しているとか。

説法の種類は無限にありますが、最終的に「阿弥陀如来によって救われる」というのが落とし所です。煩悩は拭いきれない存在であり、人間は常に罪を作り続けて生きていかなければならない。けれど、「変わらない自分」のまま救ってくれるのが仏だというのが仏教の真髄です。それを伝えるための説法が何千種類とあるわけです。
たとえば、有名な説法の一つである『諸行無常』は比較的シンプルな教えで、英語では『Everything is changing.(すべてのことは変化している)』などと表現できます。一方で、『諸法無我』は、どう表現すべきか非常に悩みます。「この世に存在するあらゆる事物は因縁によって生じるものであり、我(が)は存在しない。我があると思っていることが錯覚であるといった考え方」を指すのですが、英語で伝えるのに試行錯誤しています(藤岡氏)
翻訳ツールを試験導入、実際に体験してみた
聞けば「なるほど」と思う話だが、異なる言語で正確に伝えようとすると確かに一筋縄ではいかないだろう。そうした課題の解消を目指して、2024年12月から新たなツールとして、多言語のコミュニケーションをリアルタイムに翻訳・可視化する「VUEVO(ビューボ)」と「VUEVO Display(ビューボディスプレイ)」を試験的に導入している。

これらのツールは落合陽一氏が代表取締役会長CEOを務めるピクシーダストテクノロジーズ社が開発した製品で、独自の音声アルゴリズム、音声認識、及びAIによって、リアルタイムでのコミュニケーションの翻訳・可視化を実現しているという。
VUEVOは専用のマイクで拾った音声をリアルタイム翻訳し、来店者が自分のスマートフォンなどで翻訳を閲覧できるツール。QRコードを読み取ってトークルームに入ると選択した言語での翻訳を閲覧できる。主に法話など、複数の来店者に一度に翻訳の内容を伝える際に活用する。
VUEVO Displayは専用のディスプレイを通じて多言語でのリアルタイムのコミュニケーションができるツール。日本語で話した内容が、英語や中国語など選択した言語にリアルタイムで翻訳され、ディスプレイに表示される仕組みだ。カウンターの対面でのコミュニケーションにおいて活用する。

今回、営業前の時間帯にVUEVO Displayを試してみたところ、リアルタイム翻訳・可視化に成功するタイミングとしないタイミングがあった。発した音声をうまく認識しなかったり、話し終わる前の段階で文章が翻訳されてしまったり、といった具合だ。こうした不安定さがあることから現状は営業中に使いこなせていないというが、安定して使えるようになれば大いに活躍するかもしれない。
ピクシーダストテクノロジーズに問い合わせてみたところ、音声をうまく認識しないのはWi-Fi環境の問題が大きいだろうとのこと。また、営業中に音声を認識しづらい場合は、空間が狭いために周囲の音を分散しづらいことも原因の一つかもしれないとの見解だった。
同ツールは、東京スカイツリーのチケットカウンターや三井ショッピングパーク ららぽーとの受付窓口などで活用されており、一定強度のWi-Fiと周囲の音が分散する広いスペースがあると、うまく機能するようだ。さらに、一問一答形式のコミュニケーションに適しているとのことだった。
体験の幅を広げ、より深い仏教の理解を促したい
現状は、自身の語学力を磨いたり、よりわかりやすく説法を伝えられるよう英語の説明文を洗練させたりすることに重きを置いているが、同時に体験の幅を広げることも検討しているという。
まず、バーの外階段の壁に写経をできるようにしたいと考えています。ビルの2階から4階までがバーの敷地で、階段の壁は自由に使えます。現在は蓮の花の絵が描かれているのですが、空いているスペースを使ってお客さんに写経してもらい、御経で埋められたらいいなと思っています(藤岡氏)

さらなるテクノロジーの導入にも積極的な姿勢を見せる。
法要の最中にプロジェクションマッピングを使って、御経を文字で映せないかと考えています。店内の壁などに文字が流れるようなイメージです。さらに音楽もプラスしてエンタメ要素を高められたらおもしろいかもしれません(藤岡氏)
おごそかな雰囲気のなかで説法を伝えることも重要だが、言語の壁がある訪日客に対しては、どうしても浅くしか伝わらない課題がある。そこで視覚的、聴覚的に伝わりやすい要素を加えるなどして体験価値や満足度を高めていく方針だ。オープンから25年目を迎えてもなお人気が冷めない理由は、常に進化し続ける体験設計にあるに違いない。
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